霧島酒造が全国制覇を達成したことで、東京や関西の大都市からも若い学生が入社を志望するようになった。

学生の志望動機は「日本一の会社だから」

 2014年の就職試験には過去最高の900人弱が応募し、そのうち29人を採用した。倍率は約30倍に上る。社長の江夏順行は「就職試験では多くの学生が『日本一になった会社だからです』と志望動機を答える」という。

 大卒の定期採用を開始した1997年には31人しか応募がなく、14人が入社した。倍率はわずか2倍。管理本部部長の堀之内宏俊は「母集団の形成には困らなくなった。学生に共通しているのは『黒霧島』の認知度が高い点。普段から飲んでいるので、興味を持ったという若者が圧倒的に多い」と指摘する。

 現在の社員数は469人に増え、10年前に比べ200人以上増加した。2015年の新入社員のうち、4割が宮崎県外の出身者だった。堀之内は「まだ都城に何らかの縁がある学生が多いが、全く関係のない人も門を叩くようになった」と語る。

 かつては地元出身者が工場に配属されると、営業やマーケティングといった他の仕事には全く関心を示さなかった。しかし、現在は柔軟な発想を持つ若者が増え、社内の雰囲気が随分変わった。順行は2015年4月1日の入社式で「若い力を前向きなエネルギーに変えてほしい。どんな局面でもプラス思考で、物事に取り組むことを願っている。霧島酒造の次の100年を担うのは皆さんです」と訓示を述べた。

 就職試験は、東京、大阪、福岡、都城の4カ所で開催する。説明会の後に筆記試験を行い、それに通った学生が部門長や役員の面接に進む。現時点では4地域で、ある程度の定員数を設けて選抜を進めている。

 堀之内は「最近の傾向は、目的意識の高い学生が多く、研究職を志向する人が増えたこと」という。大学院を修了した学生も増えた。求める学生の人材像は、1996年に3代目社長の順行が就任時に定めた「考動指針」にある。

 ①夢がなくては始まらない②会社の主役は「私」です③やり過ぎくらいがちょうどいい④マネするだけじゃつまらない⑤楽しくなくては始まらない──というガイドラインに沿って適合性の高い人物を見極めている。

 堀之内は「学生は、われわれのアイデンティティーや地域性を最初から理解していることが多いため、会社への忠誠心が高い。地元で生まれ育ち、地元で働きたいというニーズは昔からある」と話す。そのうえで「都城に本社も工場もあるため、この地域で生きていく覚悟や使命が前提になる」と強調する。

 さらに、県外から移住する学生の本気度にも目を凝らす。面接では常に学生の真意を探ろうとしている。従来は全員が地元出身者だが、今は営業拠点も増えたことで、働き方が変わった。地元目線だけでなく、異なる視野が会社の新しい成長を支える。多様性は組織に欠かせないキーワードである。

 専務の江夏拓三が所管する企画室は、平均年齢が26歳と若い。拓三は「新人でも仕事ができそうな人はチーフを任せる。頭が柔軟で新しい発想が生まれる」と期待する。昔はオジさんだけの会社だったが、若い女性の入社も増えた。黒霧島のメガヒットはあらゆる意味で会社の構造を塗り替えた。

 一方で、昔は社員の顔と名前がすぐに一致したが、さすがに500人近い会社になると、そうもいかない。年長者と若手のコミュニケーションが大事になる。そうした仕組みづくりにも知恵を絞る。

 2014年4月には7年ぶりに基本給を底上げした。ベアを実施し、社員の待遇改善を図った。常務の伊賀崎繁は「大手の製造業ほどではないが、宮崎県内では全体の平均よりも少し上の給与を支給している。会社はお客さんと社員の両輪で回っている。働き手の満足度を高めないといけない。会社が財務的に安定していることは大きい」と話す。

年収低くても余裕のある地方生活を選択

 戦後、地方は一貫して大都会に若い人材を供給する役目を果たした。特に九州の南端である宮崎県には大企業が少なかった。地元に住み続ける若者は必然的に減り続けた。

 ところが、潮目が変わりつつある。都会であくせく働き、年収500万円を得るよりも、豊かな自然や時間に余裕がある地方で、年収300万円の生活を選択する若者も出てきた。

 地方と都会の間での人材移動は、主に四つの局面で見られる。一つ目は入学、二つ目は就職、三つ目は40歳頃の転職・再出発、四つ目は定年だ。就職を機に、都城に移住した若者の覚悟や生活ビジョンはどんなものか。霧島酒造の20歳代の5人に話を聞いた。

●松田莉慧(企画室勤務、27歳)

 神奈川県川崎市出身です。東京農業大学を卒業した後、千葉大学大学院で植物細胞工学を勉強しました。入社3年目で、企画室で商品開発、広報業務を担当しています。

地方の成長企業の方が楽しそう

 就職活動では飲料、ビール、製菓など食品関連の研究職を中心に、40社ほどの企業を受けました。ただ、企画や商品開発職に興味が出てきて、研究職以外の業務も探し始めました。そうした中、地方の企業だけど自分のやりたいことができそうだと、思い切って宮崎県の霧島酒造を受けたのです。焼酎の会社を受けたのは霧島酒造だけでした。

 霧島酒造について帝国データバンクの数値を調べて驚きました。業績がとても伸びていたからです。東京で経営状況が横ばいの大企業よりも、地方の成長している会社の方が楽しいかもしれないと考え、入社を決めました。お酒がもともと好きで、自宅で霧島酒造の焼酎を飲んでいたこともあります。地方で入社してみようと検討したのは1社だけです。

 宮崎県の都城市が田舎だとは最初から分かっていました。私は川崎出身といっても自然が多い地区で育ったので、あまり違和感はなく、新鮮なこともたくさんありました。最初、都城に来て思ったのは「私が好きな焼酎を街全体で造っているのがいいな」ということです。おいしい水があり、芋畑があり、それで焼酎を造っている。他の街にはない光景だなと感じました。

 当初は生活が多少不便かもしれないと想像しましたが、そんなことは全くありませんでした。車があれば、どこにでも移動できます。親も地方暮らしに賛成してくれましたし、何の不安もなく都城に移住しました。中学、高校、大学、大学院とそれぞれ違う街に通い、もともと環境の変化に対する適性があったのかもしれません。

 入社して企画室に配属されました。霧島酒造は「霧の蔵ブルワリー」というレストランを持っていますが、そこの販促物を作成したり、イベントのお手伝いをしたりして1年目を過ごしました。とにかく、若いうちにいろいろなことを経験したいです。企画室の仕事はやりがいがあり、1年目から面白い仕事を任せていただけます。

 若い社員が多く、ものすごく風通しのよい組織だと感じています。職場の人間関係で悩むことはありません。直属の上司も年が近く、なんでも気軽に相談できます。仲の良い部署です。

 入社してから、霧島酒造が焼酎業界で1位になりました。そのニュースが出てから、取材の要請が増え始めたと実感しています。メディアの方からも「1位になったんですよね」といわれることが多く、そういう会社に勤めているんだなと思うようになりました。

 ただ、1位になったからといって、今のままでいいとは思いません。もっと新しい商品を造り、会社が成長しなければなりません。私自身、何か新しい商品を考えることができればいいなと感じています。

 芋焼酎は麹や芋の品種によって、味わいが異なるのが特徴です。様々な関係者と一緒に働き、バラエティーに富む商品を生み出し、PRしていきたいですね。

 焼酎はお酒の中でもコストパフォーマンスが高いと思います。昔は食事の時に甘いカクテルを飲んだりもしましたが、今はもっぱら焼酎で食事をするようになりました。霧島酒造の商品を街で見かけるとうれしくなります。食事と一緒に楽しめる焼酎文化を少しでも広めていきたいです。

●仲村憲治(企画室勤務、29歳)

 長野県飯田市生まれです。大学と大学院は北海道帯広市の帯広畜産大学に行き、そこを出てから岩手大学の大学院にも通いました。合計で9年間、勉強したことになります。

都城は北海道や岩手県に比べ田舎ではない

 学校では農学系の食品科学を専攻しました。もともとお酒が好きです。酵母やアルコール発酵の基礎的なことを勉強していました。博士課程まで行ってから、民間企業に就職しようとする人は実はそれほど多くありません。普通は大学に残るか、どこかの研究所に入るようなケースが一般的です。

 恩師が企業や役所で働いていた方で、「若いうちにいろいろなことを経験しなさい」といわれたこともあり、民間企業への就職を目指しました。30社程度にエントリーシートを出し、霧島酒造から運良く内定を得ました。

 北海道でも黒霧島はわりとメジャーな商品だったため、昔から飲んでいました。会社を知ったのは、博士課程の時代に宮崎市で学会発表があった時です。ランチの際にセミナーがあり、そこで霧島酒造が健康をテーマにした機能性の焼酎のシリーズを発表していました。そんな面白い焼酎も造れる会社なんだと興味を持ち、就職活動で受けてみようと考えたのです。研究職を志望し、1年目は研究開発部で働きました。2年目から企画室に配属されています。

 学生時代も故郷を離れて長く暮らしたので、都城に来ることに抵抗は全くありませんでした。しかも都城に住んでみて、ここは北海道や岩手県に比べ意外に田舎ではないとも感じています。ラッキーです。国道沿いの大通りには店がいろいろありますし、なにしろ冬場でも寒くないのが気に入っています。自分は物静かな場所に居心地の良さを感じるタイプなので、生活に不便さはありません。

 入社後、すぐに会社が焼酎業界でトップになりました。しかし、あまり実感がなく、むしろまだまだ伸びしろがある会社だと思っています。国内には日本酒の勢いが強い地域が残っていますし、海外でもこれから売れるでしょう。まずは今の仕事を楽しみ、自分の能力を伸ばせればと思っています。そして、会社に貢献したい。研究という観点では芋の開発は面白いでしょうし、営業にも興味が出てきました。

●吉田しおり(管理本部勤務、27歳)

 熊本県宇城市出身です。熊本市と八代市のちょうど中間くらいにあります。両親は農家です。干し柿を作っています。入社5年目で、管理本部の人事担当です。

飲み会では役員と恋愛相談

 宮崎市の宮崎大学を卒業しました。もともとは音響の勉強がしたかったんですが、残念ながら大学のセンター試験の成績では難しそうでした。私立大学や専門学校はお金がかかるのでどうしようかと思っていた矢先に、学校の先生から宮崎大学の教育文化部をすすめられました。運良く入学することができ、予想もしなかった宮崎に住み始めることになったのです。

 大学では社会学を学び、4年間、勉強、部活、遊びに全力で取り組みました。就職を考えた時に、宮崎が好きになったので、宮崎か地元熊本の会社で働きたいなと思いました。

 宮崎では金融、IT、郵便局、JAといったいろいろな業種にエントリーしましたが、選考の過程で霧島酒造が第一志望になりました。社員に会って話を聞き、感覚的にこの会社で働けたら楽しいだろうなと感じたからです。宮崎の大学ですので、当然黒霧島をメーンで飲んでいましたし、運良く内定をもらえたこともあり入社しました。

 地元は相当田舎なので、それに比べたら都城はかなり都会です。宮崎大学に通っていた時から何度か来たことがあり、住み心地に何ら問題はありません。ここの土地は素朴な優しい人が多いです。見知らぬ人から助けてもらうことがよくあります。都城は盆地なので湿気が多少気になりますが、住めば都だと実感する日々です。

 都会的な大きい会社というイメージがありましたが、社員はみな良い人で、気さくな人が多いです。田舎育ちのため、そうした社員同士の家族みたいな関係性にもほっとしています。良い意味で、入社前に抱いていた会社のイメージが裏切られました。会社が業界首位になっても、社内は現状に満足することなく、常に前進の姿勢です。

 みんな、焼酎は霧島酒造が一番という自社製品好きの社員が多いです。仕事の時は堅くまじめな人でも、夜の飲み会になると話は別です。ざっくばらんに話せる人が多く、役員と恋愛相談することもあります。

 日本一になったと実感するのは、例えばタクシーに乗って会社のチケットを見せた時に、外部の人から指摘される時でしょうか。周囲の人はよく見ていると思うので、仕事、プライベートに関わらず気を引きしめなければなりません。

 会社では主に採用を担当していますが、受けに来る学生の数の増加に驚いています。私の時は180人だった応募数が、今は800人を超えました。しかも、毎年どんどん増えています。学生のエントリーシートを見ると、日本一になった会社で働きたいとの動機が多く見られますね。

 人事を担当するとは夢にも思いませんでしたが、いろいろ経験したいと考えています。今は私なりにどう採用を進めていくかに知恵を絞り、働きやすい会社にしていきたいです。霧島酒造の中身をマスターするような気持ちで働きたいと考えています。なにしろ、本当に良い会社ですからね。都会か田舎暮らしかという選択がありますが、自分の軸さえしっかりしていれば、田舎の暮らしも楽しいものです。

 あと、霧島酒造では毎日、朝礼の場で企業理念を唱和しています。マネするだけじゃつまらない、楽しくなくては始まらない、といった会社の指針を皆が暗記しているのです。朝礼の当番を1人決めており、その人が全員の前で話すスピーチも面白いですね。

 今後の目標は仕事と家庭の両立です。会社は家庭を持っても働きやすい環境が整っていると思います。会社の制度をうまく使って、結婚してもいきいき働きたいです。2016年に会社は創業100周年というおめでたい年を迎えますので、相手次第ですが、その時に結婚できたらと思います。女性で結婚している社員は、社内結婚も少なくありません。夫婦で同じ職場という人も珍しくないです。

●尾﨑圭晃(研究開発部勤務、26歳)

 大阪の高槻市から霧島酒造に入社しました。入社2年目で、研究開発部で働いています。

関西からバイクで都城に就職活動

 京都学園大学の出身です。それほど勉強は好きではなかったのですが、微生物に強い関心を持ちました。4回生の時に専門の研究室に入り、酒処の京都ですので、実習では日本酒を造ることもありました。お酒を造ることへの興味が強まり、酒造会社に就職できたらと考えるようになったのです。

 大学時代の就職活動を通じ、霧島酒造が大阪市内で開いている合同説明会に参加しました。ですが、その時の自分には、レベルの届かない会社だなと直感的に考えさせられ、大学院でもっと勉強してからチャレンジしたいという気持ちを抱いたのです。

 そこで京都府立大学の大学院に進み、焼酎用の麹が持つ酵素について専門的に学び始めました。

 酵素はタンパク質で構成され、物質を違うものに変える触媒の役割を果たします。焼酎造りでは、麹が持つ酵素がデンプンを糖に変え、その糖を酵母が食べてアルコールに転換することでお酒ができます。

 京都の大学出身なので、日本酒ばかり飲んでいましたが、就活を通じて霧島酒造を知ってからは焼酎も飲むようになりました。京都の酒屋さんで焼酎を買い始めましたが、慣れてくると、このお酒もありだなと考えるようになったのです。月桂冠や白鶴酒造といった日本酒メーカー、ビール大手も就活で試験を受けましたが、霧島酒造の内定を得られたので、都城への移住を決めました。

 全く知らない街だったため、最初に自分の足で歩いてみなければいけないなと思い立ちました。そこで、就活の際に、関西からバイクで移動することにしたのです。都城での面接は2度ありましたが、バイクとフェリーを乗り継いで宮崎県に入りました。

 第一印象はやはり田舎だなということです。また、バイクで走ると、思った以上に湿気の多さも感じました。直感的に、菌にはとても良い環境なんだと思いました。良い蔵元の条件は盆地であったり、水が豊富な場所だったりと決まっています。ここも条件が整っているのかもしれない。そんなふうに感じました。

 市街地の外を少し走りに行くと、すぐに田んぼがあり、農場があります。農業が盛んなことが、焼酎造りにとって良い原料の入手につながるんだろうとも思いました。こんなふうに就活の時にバイクで一通り見ていましたので、田舎とはいっても、会社に入って困ることはないだろうとの自信はあったのです。

 実際に入社してからも、車があれば困ることはないし、道は広くて快適です。理想とのギャップを感じて辛く思うこともありません。宮崎市内や鹿児島市内まで足を運べば、わりと都会だし文化的な活動や何らかのイベントもあります。

 散歩が趣味なので自宅の周辺をよく歩きますが、近くのおばちゃんに、おはようと声をかけてもらえるし、野菜を普通にお裾分けしてくれることには正直驚きました。人情に厚い人が多く、何かあったら面倒を見てもらえる安心感があります。

 入社した年に焼酎業界のナンバーワンになったという発表がありました。入社する前から入念に会社の売り上げや規模を調べていたわけではないので、実はすごい酒蔵なんだとその時に思ったのです。そんな会社に自分なんかがいていいのかなとも感じますね。研究室にいますが、外部の方から「霧島さん、勢いがいいね」と言われることが少なくありません。

 日本酒文化で育った自分から見ると、もっと焼酎文化が国内で発展してもいいと、率直に感じています。日本では焼酎があまり飲まれていない地域もありますので、市場自体がもっと広がる潜在的な可能性はあるでしょう。

 人口減少が進む社会の中で、どう消費者に焼酎を飲んでもらうのか。また、どんな商品なら受け入れられるのか。焼酎業界首位の会社として真剣に考えなければいけません。

 原料の芋に関しても、機能性の解明や食料以外への活用も考えられます。芋のデンプンを原料に、違う素材に変えるといった用途もあるかもしれません。飲酒人口が減る中で、焼酎以外の分野にも将来的に使える研究ができたらいいです。

●大久保昌博(企画室勤務、27歳)

 私は地元の都城出身です。入社5年目で、酒質管理部を経て、現在は企画室に配属され、営業さんのサポートや広告・広報業務を行っています。

霧島酒造は今後伸びるベンチャー企業

 九州大学農学部を卒業しましたが、昔からバイオ系の研究に興味を持っていました。就活の際には2つの軸を定め、その中から霧島酒造に入社したのです。

 一つはいわゆる大手企業。もう一つがベンチャー企業です。大手企業ならば優秀な人材も多いし、給与の水準も高いでしょう。一方で、ベンチャー企業には自分たちの手で会社を育て、大きくできる魅力があります。就活で30社近くの試験を受けましたが、地元の霧島酒造に縁があったため、入社を決めました。焼酎は麹や酵母の微生物をもとにしており、自分の関心にも合っています。霧島酒造は今後も伸びるバイオベンチャー企業と考えて受けました。

 福岡県の九州大学では、友達はほとんど黒霧島しか飲んでいませんでした。所属していたサークルでも週に2~3回は飲み会があります。ただ、自分はお酒に強くない体質です。代わりにオレンジジュースといったソフトドリンクを飲んでいました。飲み会の雰囲気自体は好きなので、頻繁に参加していましたけどね。

 大学卒業後、あらためて地元の都城に帰り、田舎だなと再認識しました。最初のうちは実家から会社に通ったものです。ただ、自分には不便と思えることが少なくありません。都会なら有名なミュージシャンのライブが開かれ、皆が集まって盛り上がります。ですが、都城ではそういう機会はありません。何をするにしても規模の大きさで劣り、物足りなく思ったりします。これは正直な気持ちです。

 しかし、福岡と比べた場合の長所は、人間のあたたかさや人づき合いの距離感の近さでしょう。アパート暮らしを始めても、隣の人は知り合いですし、お歳暮の一部をもらえたりします。そうした人間関係は間違いなく都会にはない良さです。

 霧島酒造は入社してから業界トップになりました。就職前から会社の売り上げ規模や年率10%という伸び率を見ていたので、いつか1位になるだろうとは予想していました。

 しかし、業界1位とはいえ、自分の中では目指せ酒類大手のサントリー、アサヒ、キリンと考えており、霧島酒造はまだまだ小さな企業です。彼らの1兆~2兆円の売上高に対し、霧島酒造は500億円の規模にすぎません。足元にも及ばない存在です。そうしたビール大手で働いている同級生が実際にいるわけで、いろいろ話を聞いて会社の違いを実感することもあります。

 だからこそ、霧島酒造をもっと変えて伸ばせる部分もあるし、こうすれば良いと思えるアイデアが浮かび、いろいろとチャレンジさせてもらえます。やはり、酒類業界の中ではまだまだベンチャー企業といえると思います。

 企業が成長する過程では、人が何よりも重要です。企業が人を育てるのか、人が企業を育てるのかよく分かりませんが、自分は人事という仕事に興味があります。

 社員の平均年齢が若返っていますし、今後も優秀な人材がどんどん入ってくるでしょう。その中で、若い人をどう教育し、伸ばしていくか。そうした人事の業務に関われたらと思います。

 もちろん、人事に携われなくても、自分の担当分野で働き方の工夫ができれば良いと思います。水に強みを持っているので、社内ベンチャーのようなかたちで水事業を独立させるような考えもありでしょう。会社をどんどん底上げしていきたいです。都城出身ですので、地域の視点から見れば、医療や食品など江夏家は様々なかたちで都城を支え、地元に貢献してきました。私も、立派に地域貢献ができるように成長していければと思います。