大衆からあまり支持されていないもう一つの理由は、海での散骨が違法性を帯びている可能性が、長年指摘されてきているからだ。

 1948年に制定された墓地埋葬法では、海への遺骨の埋葬については、一切、規定がない。これはただ単に、当時、海洋散骨を想定していなかったから条文に盛り込まれなかっただけである。墓地埋葬法に規定されていないからといって、自由に海に遺骨を撒いてもいいということにはならない。やはり、一定のルールを守らなければ、刑法の死体遺棄罪に觝触する可能性がある。

 このことは1987年に亡くなった俳優の故石原裕次郎の遺骨の散骨の際に、ちょっとした議論になった。

 「海を愛していた弟。遺骨を湘南の海に還してやりたい」と、当時、衆議院議員だった兄の慎太郎が告別式の場で発言した。ところが、法務省より法律上の問題が指摘され、国会議員という立場もあって断念した経緯がある。

 こうした散骨の法解釈を巡って動きがあったのは、先にも述べたように1991年のことである。

 葬送の自由を進める会が同年に1回目の散骨を実施した際に、法務省刑事局が「葬送を目的とし節度を持って行う限り、死体遺棄には当たらない」との見解を述べた。また、厚生省(当時)も、「墓地埋葬法は散骨を規制していない」とした。

 いったん棚上げになっていた石原裕次郎の遺骨は、この法務省・厚生省判断をもって、後に散骨されることになった。

 散骨の法解釈を巡っては、法務省と厚生省見解をもって、一応の決着を見た形だ。

 だが、その後、悪質業者による違法行為や、住民感情を無視した散骨が跋扈し始めた。特に、地上型散骨場になっている地元では、住民による反発が噴出している。また、海洋散骨の場合も、近海で操業する漁業従事者が「風評被害を受ける」として反発する事例がある。

 散骨を巡るトラブル続出を背景に、国は規制に乗り出した。厚生労働省の懇談会は1998年6月、「実施する場所などに一定の規制を設けることが必要」などとする報告書をまとめた。

海士町ならではの共存共栄

 そうした散骨を巡って紆余曲折の問題が生じている中で、カズラ島での散骨事業が始まった。カズラの場合、住民の反対運動はなかったのか。担当者は話す。

 「もちろん島の人の中には『自分は反対』という人もいらっしゃいます。しかし、おおむね歓迎されています。実際、地元海士町などに協賛していただいており、また、2006年の開所式の際には、地元の町長や村長にも出席していただきました」

 海士町の町長、山内道雄が取材に応じた。

 山内は、地域創生の旗手として知られている。2014年、安倍晋三首相は所信表明演説で、海士町が地域創生モデルだとした上で、このように語っている。

 「『ないものはない』。隠岐の海に浮かぶ島根県海士町では、この言葉がロゴマークになっています。都会のような便利さは無い。しかし、海士町の未来のために大事なものは、全てここにある、というメッセージです。『この島にしかない』ものを活かすことで、大きな成功を収めています」

 首相の言う「大きな成功」に導いたのが山内である。山内が町長に就任した2002年当時、海士町は、北海道夕張市と並んで財政再建団体に転落しかかっていた。年間予算が40億円そこそこの町で、1999年には102億円もの借金を抱えていた。人口減少にも歯止めが掛からない。終戦直後は7000人ほどいた海士町だが、2000年には2672人にまで減ってきていた。

 山内は町長就任後、NTTに勤めていた経験を生かし、大胆な行財政改革と新産業創出を推し進めた。たとえば、自身や町職員の給与カットで捻出した財源を出産、子育てに関する原資にあてた。また「島留学制度」を打ち立て、町の高校を進学校に育て上げ、あるいは、岩牡蠣や隠岐牛をブランド化することで若者を島に呼び寄せることに成功した。現在2300人の人口に対して、過去10年間の島外からの移住者は500人を超える。地方創生モデルの町として、全国から注目を集めているのが海士町なのだ。