隠岐は、島根半島から北に40から80キロメートルの沖に位置し、約180からなる群島を形成している。日韓で領土対立が続く竹島も、行政区分上は島根県隠岐郡に属する。

 有人島としての隠岐の歴史はとても長い。縄文時代以前から人が居住していたとも伝えられている。隠岐は石器に使用された黒曜石の産地でもあり、紀元前5000年前のものと見られる遺跡もある。

 島では古くからの自然信仰が根付き、現在まで多くの神事が続けられてきた。中世は遠流の地になり、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流されたことでも有名だ。

隠岐群島にある「散骨島」で知られるカズラ島(中央の小島)。対岸の慰霊所から撮影

 隠岐群島には4つの有人島がある。一番大きく、円形をしているのが道後(隠岐の島町)。さらに島前と呼ばれる西ノ島(西ノ島町)、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)の3つの島のまとまりがある。海岸全域が国立公園に指定され、近代的な人工物がほとんど見当たらない、実にのどかな島である。

日本唯一の葬送の島

 島前の中ノ島に、「カズラ島」と呼ばれる無人島がある。上空から見れば、ひょうたん型をしている。島全体がカズラ(つる植物)で覆われていることから、いつしかこの名が付けられた。広さはおよそ800坪。船で3分もあれば島を1周できる大きさだ。

 カズラ島を含む一帯は、大山隠岐国立公園の第1種特別地域に指定されており、一切の建造物が認められていない。だから、固定の桟橋が造れず、通常は船の発着ができない。ある島人は言う。

 「その場所に無人島があることは分かっていたけれど、カズラ島なんて名前が付いていることは知らなかった。たまに近くの島人がサザエを獲りにやってくるくらいかな。でも、この10年ほどで、島は皆が知る場所になったね」

 散骨島──。カズラ島は、島全体が散骨の聖地になっている。いわば、「葬送の島」である。散骨専用の島は、日本ではカズラ島を除いて他にはない。2016年9月、筆者は散骨の参加者とともに、島を訪れた。

 この日、散骨しにやってきたのは2組、計6名の遺族だった。同行した業者によれば、今回の参加者は少ないほうだという。平均で6組程度、多い時で20組が散骨に訪れたこともある。

散骨にこだわった理由とは

 参加者の一人、島根県出雲市在住の花田良子(54歳、仮名)は、夫とともに3カ月前に亡くした母の遺骨を抱えてやってきた。花田がカズラ島での散骨を決め、業者に連絡したのがわずか半月前のこと。島での散骨は、春と秋の年に2回しか実施していない。今期を逃すと次回は半年先になってしまう。花田は思い切って、参加を決めた。

 花田の母は、高齢者施設で亡くなった。本人が生前に散骨を希望したわけではない。それでも花田が母の遺骨を散骨しようと考えた理由は、晩年、母がキリスト教を信仰していたことによるという。

 「最期の時、母の枕元には聖書が置いてありました。散骨にこだわったのはキリスト教徒らしい送り方をしてあげたいと思ったからです。キリスト教の考え方の中に、死後、本人の魂は天国へと行き肉体は自然に還る、という理念があるのを知りました。私や夫はキリスト教徒ではありませんが、散骨で母を送ってあげるのが一番だと考えました」

 実は花田は過去、夫の転勤で、隠岐の島に2年間、住んだことがある。カズラ島での散骨には、「縁」を感じていた。

 花田は、当初は海洋散骨を考えていた。インターネットを使って業者を片っ端から探したが、地元では見つからなかった。島根県の近海に散骨しようと思えば、東京の業者のチャーター船を日本海まで持ってくるしかなかった。

 「そうなると費用がとても高くなります。しかも、海洋散骨業者はどこかビジネス臭が漂っていて、また、海洋散骨は地元といろいろな問題を起こしているということも分かり、まともに散骨してくれるのだろうかと悩み始めました。どの業者にしようか、思案していたところ、隠岐での散骨を知ったのです」