遺体を自宅に戻せなくなった

 高齢化社会という言葉は、今や日本社会を語る上での常套句になっている。だが、もう少し時間を進めれば、そのフレーズはきっと「多死社会」へと、ステージが移ってゆくことだろう。

 多死社会が間もなく到来する。データを見れば、よりリアルに分かる。2005年、死亡数が出生数を初めて上回った。そして2007年以降は、ずっと死亡数上位の状態が続いている。

 厚生労働省「人口動態統計の年間推計」によれば、2015年の死亡数は、130万2000人(推計値)だった。この数字が今後25年間にわたって、右肩上がりに伸びていく。

 死亡数のピークは、1947年から1949年生まれの、いわゆる団塊世代が90代を超える2040年と推測されている。現在よりも30万人以上も多い、166万人が1年間に死亡するとの推計がある。この数字は鹿児島県の人口(170万人)に相当する数である。

 多死社会の歪みは、すでに様々なところに現れている。ひとつは火葬場の不足だ。火葬場は遺体ホテル同様、いわゆる迷惑施設だ。新設は容易ではない。

 火葬場の増設が見込めない中で、じわじわと死者数が増え続けている。本連載の第一回でふれたように、死者が増える夏場や年の暮れには、火葬待ちが1週間から10日というケースも出てきている。首都圏では火葬能力が死者の数に追いつかない。そこで、遺体を待機させておく場所が必要になるというわけだ。

 考えてみれば、人が死ねば、火葬までの遺体安置場所は、かつては「自宅」であったはずだ。自宅葬が減り、葬祭ホールで葬式をやるケースが増えているが、それでもいったんは故人が暮らした自宅に戻す。そしてせめて枕経、納棺までは自宅で執り行うのが一般的だった。

 だが都会では、居住空間に「死」を迎え入れることが難しくなってきている。

 一つは、マンション暮らしの世帯が増えている点だ。特に都会の高層マンションでは、管理組合の規約によって遺体を運び込めないところが多い。病院から自宅に戻したい気持ちが遺族にあっても、人目につきやすい日中にマンションの室内に運び入れることは憚られる。

 さらに、昨今の「葬式の簡素化」が、待機遺体の増加に拍車をかけているという。都市圏で急増しているのが「直葬」だ。直葬は葬式をせずに、火葬してしまうことである。

 葬儀や仏事に関する情報サービス会社「鎌倉新書」が2014年に全国の葬儀社を対象に調査したリポートによれば、関東圏の全葬儀に占める直葬の割合は22パーセントにも及ぶという。

 直葬の場合、病院などからいきなり火葬場へ直行することは少ない。墓地埋葬法によって、死後24時間以内の火葬が禁止されているからだ。つまり、その間、どこかに遺体を保管しておく必要が生まれる。

 マンションに遺体を運び込めない場合も、直葬するまで遺体を一時保管したい場合にも、火葬場の遺体保管庫を利用することは可能だ。だが、火葬場の保管庫の場合、面会時間が決められていることなど、自由度は高くはない。何より無機質な印象で、そこに何日も故人を安置しておくことへの遺族の心理的負担は大きい。