東京博善は1992(平成4)年、出版社の廣済堂の傘下に入った。現在、火葬場を新設できるのは1968(昭和43)年の旧厚生省通達によって、自治体と宗教法人のみとされている。だが東京博善は戦前からの権益の流れにより、都内における火葬の牙城を守り続けているのだ。都内の公営火葬場は23区内で2カ所(臨海斎場、瑞江葬儀所)のみにとどまる。東京博善以外のもう一つの民間斎場は、板橋区・荒川沿いにある戸田葬祭場だ。

 「公営に比べて民間は火葬のスピードも速いですが、それはそれで、別のジレンマを抱えることになります」

 火葬場事情に詳しいある研究者は語る。

 現在、東京博善では来る多死社会を前に、火葬場のリニューアル工事を実施中だ。目下、葛飾区の四ツ木斎場を休館して全面建て替えを行っており、2016年12月に再オープンする。

 「今後、火葬需要はより高まることが予想されます。東京博善や戸田葬祭場にとっては大きなビジネスチャンスのように思えますが、必ずしもそうではないのです。昨今の家族葬や直葬など葬式の簡素化の流れの中にあって、火葬場を訪れる会葬者が減っています。すると火葬場の収入源であるレストランや売店の売り上げが伸びない。同時に火葬ラッシュ時代ですから、火葬時間を可能な限り短縮しなければならない。拾骨までの時間が短ければ、それもレストラン利用が減る原因になります。葬式の簡素化と多死社会の到来で、一会葬当たりの売り上げ単価が下がってきています」(前出の研究者)

 そこで民間斎場では、施設をより高級化して、会葬者の売り上げ単価を上げる試みが行われている。

付加価値サービスに乗り出す民間斎場

 日本で屈指の火葬件数を誇る東京都板橋区の戸田葬祭場のケースを見てみたい。横浜市南部斎場を訪れた1カ月後、戸田葬祭場を取材した。

 戸田葬祭場は年間火葬数がおよそ1万4000体に上る、日本でも屈指の巨大斎場である。火葬炉は全部で一五基ある。南部斎場とはまた趣が異なり、和風の落ち着いた雰囲気が特徴だ。玄関ドアを開けると大きな観音像が出迎えてくれる。

 そこから会葬者は、いったん中庭に出る。枯山水の見事な日本庭園を横目に回廊を歩いて行くと、火葬棟へと誘われる。一転、火葬棟の内部は厳かな空気が支配する。目線の向こうに火葬炉の扉が見えてきた。天井からはシャンデリアが下がり、音楽ホールのような荘厳な佇まいである。