子どもたちが走り回る境内が森を守り、寺の未来をつくる

司会:先生にとってお寺とはどんな存在でしょう。

養老:私にとって寺はあまり客観的なものではないわけです。あって当たり前みたいな存在で。子どものころは本堂の周りの庭を走り回ってよく怒られたりしていました。僕は虫取りをやっていますから分かるのですが、日本の自然はお寺と神社で保たれているものが大きいんです。

司会:仏教やお寺にどんなことを期待されますか。

養老:葬送が簡単になっていったことについては理由があると思うんです。1つには都市化が大きく関係していると思います。人が交換可能な存在になってしまった。会社をお考えください。誰かが辞めても会社は困らないんじゃないでしょうか。ほかの人が埋めます。人生そのものや死が、軽く扱われるようになった結果が無葬社会なのです。そんな中で、お寺は本気でやってほしいなと思いますね。宗教って生死とか人生の一番基本的なことを考えるものですから、かなりラジカルでいいはずだと思っています。

鵜飼:都市化してお寺が門や塀をつくって一族だけの場になってしまっていますが、私の小さいころには自由に地域のお寺に出入りできましたし、先ほど先生がおっしゃったように、寺が自然を保全していた側面があります。吉水さんの活動にもつながると思いますが、そういう公益性や公共性がこれからのキーワードではないかと思います。

 私の地元の京都では地蔵盆が夏にあります。お盆の頃に、町内会でお寺に集まって、お念仏を唱えたり映画を見たり、子どもたちはお菓子をもらったりするのです。地蔵盆の考え方が日本にこれからどうしたら広がっていくか、子どもたちがお寺に自由に行き来できるようなことが年何回かでもできれば、お寺と社会との関係性が少しずつ変わっていくのではないかと思います。

(構成/中城邦子)

(鵜飼秀徳著、日経BP、1836円)

 日本は多死社会に突入した。既に「死の現場」では悩ましい問題が起きている。長期間火葬を待つ遺体が増え、「遺体ホテル」と呼ばれる新ビジネスが登場。都会では孤独死体が次々と見つかり、電車の網棚やスーパーのトイレには遺骨が置き去りに――。万人が避けられない「死」。その最前線をルポし、供養の意義、宗教の本質に迫る。