かつてない多死社会を迎えている日本で、葬送はどう変わっていくのか。先月14日、東京・増上寺で行われたシンポジウム「多死社会と葬送」の最終回レポート。新刊『骸骨考』を出版するなど、遺骨や葬送に関しての造詣の深い養老孟司さん、浄土宗の僧侶でホームレス支援団体の事務局長を務める吉水岳彦さん、そして著者の鵜飼秀徳が名和清隆さんの司会のもと、人口減少と都市化が進む中で、寺はどんな役割を担っていくのかについて語った。

都市に集まる献体

左から、名和清隆さん(淨念寺副住職、浄土宗総合研究所研究員、亜細亜大学・淑徳大学講師)、鵜飼秀徳(京都・正覚寺副住職、日経おとなのOFF副編集長)、養老孟司さん(東京大学名誉教授)、吉水岳彦さん(ひとさじの会事務局長、光照院副住職)。写真は大高和康。
左から、名和清隆さん(淨念寺副住職、浄土宗総合研究所研究員、亜細亜大学・淑徳大学講師)、鵜飼秀徳(京都・正覚寺副住職、日経おとなのOFF副編集長)、養老孟司さん(東京大学名誉教授)、吉水岳彦さん(ひとさじの会事務局長、光照院副住職)。写真は大高和康。

司会(名和清隆さん、以下、司会):吉水さんは、「ひとさじの会」というホームレス状態の方や生活困窮者の支援団体の事務局長をされていますね。路上生活者の葬儀や法要もしていらっしゃいます。

吉水岳彦さん(以下、吉水):きっかけは、貧しい人たちのためのお墓を建ててほしいという相談を受けたことです。ホームレス状態の人たちに話を聞いたら、俺たちはどうせ生きていたって野垂れ死になるか、無縁仏になるだけだと言います。そして、路上に出るまでに、いろいろな人とのつながりが切れてしまっているけれども、新たにつながった仲間と一緒の場所に死んだ後もいられると思えたら、もっと一生懸命に生きていけるんだと。そんな話を聞かせていただいて、これは僧侶の大切な役割だと教えられました。

 毎年お盆には、山谷や池袋などでホームレス状態の方も一般の方も一緒に集まって夏祭りを行い、そのなかで追悼法要も行っています。みんな真剣に手を合わせて、中には泣きながら、亡くなった方の名前を呼びながら手を合わせている方もいて、死を悼むという行為がお金の有無ではないことを強く意識させられました。

養老孟司さん(以下、養老):毎年供養するというのが大事な気がしますね。東大は始まって以来、伝統的に谷中の天王寺で、献体された方の慰霊祭を毎年やっています。

 ある時期には憲法違反だとか言われたこともありましたが、頑としてやっておりまして。今そこに千年塚が2つあって、引き取られた方以外は献体された方のお骨は全部お預かりして、記録も残すようにしています。これも1つの社会的なグループのお墓ですから、こういうものがこれから先あってもいいのではないかという気がしています。

司会:鵜飼さんの本で献体の数がものすごく増えていると紹介されていました。背景には、お墓や葬儀で子どもに迷惑を掛けたくない、そういったメンタリティーがもとになっているという指摘もあります。

次ページ 仏教界に激震を呼んだ法要の出前サービス