針も、包丁も供養するのは日本の文化

吉水:私は大ムカデ退治の伝説が残っているお寺の人と親しくさせてもらっていて、そこは、毎年虫の供養をやっているのです。子供たちも自分の大事にしていたカマキリとかの供養に来ると聞くと、虫供養を通じて命を考えることは大事かなと思います。

 生き物の動きが止まることを、「電池が切れた」と表現をする子供たちのことが話題に上ったことがありましたが、命って何だろうかということを直接考えるとても大事な契機になっているのではないかと思います。

 そして、大人でも大事な気がするんですね。養老先生から、モンシロチョウがいなくなっているという話をお聞きして、それは、経済活動を中心に生きている大人の方が無視してしまって、見なくなってしまっている命なのではないかと思うと、とても大事な供養な気がします。

養老:ケンタッキーフライドチキンは世界中に支社があるけれど、年に一度ニワトリを供養するのは日本支社だけだと。

鵜飼:食べるけれど、供養もやるのですね。

吉水:そこはつながっているのですよね。昔のクジラ供養とか、多くの動物供養は自分たちの生活を成り立たしめてくれている命に対しての感謝の供養で、本当に重要な意味のあることだと思います。ケンタッキーのことは知らなかったので、勉強になりました。

鵜飼:日本では命があるものだけではなくて、例えば針供養とか人形供養とかいろいろな供養がある。ああいう文化は日本ならではのものですか。

吉水:私は海外の事情をよく知りませんが、確かに包丁塚とか針供養は日本のお寺ではよく見ますね。昔の平安期の妖怪につくも神という話が出てきますが、物にさえも命が宿ると考える、そういう文化は日本にずっと続いてきているものではないでしょうか。

(編集/中城邦子)

(鵜飼秀徳著、日経BP、1836円)

 日本は多死社会に突入した。既に「死の現場」では悩ましい問題が起きている。長期間火葬を待つ遺体が増え、「遺体ホテル」と呼ばれる新ビジネスが登場。都会では孤独死体が次々と見つかり、電車の網棚やスーパーのトイレには遺骨が置き去りに――。万人が避けられない「死」。その最前線をルポし、供養の意義、宗教の本質に迫る。