司会:それによって何か問題は生じているのですか。

鵜飼:1つは課税の問題が起きています。つまり納骨堂は、宗教施設なのか、営利施設なのかという問題です。宗派にかかわらず無宗教式で集めているのであればレンタルスペースなのではないかということで、東京都は固定資産税などの課税を始めました。もう1つは無宗教式の納骨堂が増えたことで、江戸時代からずっと続いている檀家制度の枠組みが、変わりつつあるということです。

司会:都心の納骨堂に移すことで地方の寺とのトラブルはないのでしょうか。

鵜飼:地方のお寺さんにしてみれば、檀家さんが取られてしまうと収入が減ります。一方で東京の方は肥大するわけですから、受け入れる側のお寺さんにクレームをつけるといったことも起きていると聞いています。中には、地方の犠牲の上で自分たちの生活が成り立っているのだからと、都会のお葬式等で得られた御布施を、いわゆる取った方のお寺さんに再配分していくというような試みをされている東京のお寺さんもあります。

散骨したら、どこに手を合わせればいいのか

司会:納骨自体を考えず、死んだら散骨でいいとか、海や山にまいてほしいというような願望を持つことについては、どう思われますか?

養老:埋葬の仕方はそれぞれの文化ですから、極端な言い方をすると、実はどうでもいいと思うんですね。世界を見るとチベットみたいにばらばらにして鳥に食べされる鳥葬もあれば、火葬した遺骨を小麦粉と混ぜてだんごにして川に流して魚に食べさせるところもある。だから、別に散骨もいいと思いますが、日本ではいろいろ問題が起こるわけですよね。鵜飼さんの本にあった隠岐にある島は、島全体が散骨の島だから、誰も文句を言わないし、なかなかいい考えだと思いましたね。

鵜飼:隠岐島の海士町ですね。村おこしで有名なところです。隠岐の群島にあるカズラの草木で覆われている小さな無人の島全体を散骨島にしているのです。これは東京の業者さんがやっているのですが、地域住民、地元の議会の同意を得ている。珍しい散骨の成功例です。

 つまり、島に墓参りに来てもらったら、旅館ですとか物品販売とか、お墓参りを通じて島の経済も潤うといういい循環ができている。墓標が島ですから、手を合わせる主体もあって、いつ行っても手を合わせられるのです。

吉水:散骨のことは、供養を行う上でいくつかの問題があると思います。私のもとにも散骨した方からの相談がありました。親が子供たちに迷惑を掛けまいと思って散骨を希望されて、その通りばたばたと散骨をしてしまった結果、1年たち、2年たち、親のことを思い返したときに遺族は「どうやって供養すればよいのか」「どこに手を合わせたらいいのだろうか」という悩みを語られます。

鵜飼:散骨に対するイメージと現実のギャップによるトラブルもあります。樹木葬という言葉から骨をいわゆる樹木、山林にまけるのかと思っていたら、実はただ墓標が桜の木というだけで、共同霊園の片隅に埋められるとわかって失望されたという話も聞いています。