かつてない多死社会を迎えている日本で、葬送はどう変わっていくのか。先月14日、東京・増上寺で行われたシンポジウムの第2回レポート。変わる葬送に関して語った前回に続き、今回はそれぞれの立場から、お墓について語った。
左から、名和清隆さん(淨念寺副住職、浄土宗総合研究所研究員、亜細亜大学・淑徳大学講師)、鵜飼秀徳(京都・正覚寺副住職、日経おとなのOFF副編集長)、養老孟司さん(東京大学名誉教授)、吉水岳彦さん(ひとさじの会事務局長、光照院副住職)。写真は大高和康。

骨が溶けないパリは、地下のカタコンベに累々と眠る骨がある

司会:養老先生は近著で『骸骨考』をお出しになりまして、その中で世界中のさまざまなお墓をめぐって紹介をしていますね。

養老:医学などの近代科学はヨーロッパが発祥地ですが、実際に行くと全く違うんですね。私はそれを『骸骨考』という本にしたのですが、身体の扱い方なんて、日本では考えられないようなことをする。装飾がすべて人骨で作られている、ローマの骸骨寺とか、ポルトガルで見た納骨堂も、お骨を納めるのではなく現物を置いて飾りにしていました。

 近代になりますと、基本的には個人主義ですから一人一人のお墓です。例えばウィーンの墓地なんか公共墓地になっていて、費用を払って何年契約という形で借りる。亡くなって契約年数が切れますと、新たに募集します。契約を続けることもできるし、遺族が誰もいなければ次の方に切り替える。そうでないとおそらく墓地だらけになっちゃいますので。

司会:契約制の年会費ということですか。日本ではどうでしょう。

鵜飼:お寺さんでさまざまだと思いますけれども、一般的に寺の収入の仕組みとして、年会費を払ってもらってお墓を維持しています。家が絶えて何年かたつと、お寺さんは処分できることになっているのですが、なかなか整理は難しいですね。