「いまなら、未来は変えられる。」――吉田さんがこの小説にこめた願いです。どうか、読む方の未来の力となる一冊でありますように。

吉田さんは「週刊文春」で連載を始めるにあたり、「どんな人がこの雑誌を読んでいるのだろう」と考えて、篤子というキャラクターを造型されました。もし文芸誌の連載だったら、違う物語になっていたでしょう。
そういう意味では、「会社」を舞台にした小説の名手・津村記久子さんに連載小説を依頼するのに「日本経済新聞電子版」は、実にふさわしい器です。『この世にたやすい仕事はない』は「やられた!」感最上級の傑作となりました。
「お仕事小説」にもいろいろありますが、主人公の女性(36歳)が経験する5つの仕事は、かなり(というかすこぶる)変わっています。一人暮らしの小説家の生活を監視する仕事。循環バスにアナウンス広告を出したい店の売り文句を考える仕事。おかきの袋の話題を考える仕事。などなど。
そんなんでお給料いただけるんなら、誰だってやりたいわー、と思われるかもしれません。「スキンケア用品のコラーゲンの抽出を見守るような仕事はありますかね?」との相談に対して、たいへん誠実な初老の相談員・正門(まさかど)さんが、「あなたにぴったりな仕事があります」と紹介してくれたのが、最初の仕事でした。
本気で仕事をしているから、しんどい貴方へ
しかし、「この世にたやすい仕事はない」のです。ネットサーフィンとDVD鑑賞ばかりしている小説家(津村さん自身じゃありません、断じて!)の監視にも、思いがけない展開が……。
もとの職場を、燃え尽き症候群のようになってやめた主人公に、正門さんは、「今のあなたには、仕事と愛憎関係に陥ることはおすすめしません」とアドヴァイスしてくれます。入れ込みすぎ、辛くなったと気づけば、そっとそこから立ち去ってもいいのです。それでも主人公は、自然と次の仕事へと、導かれていく。だんだんと見えてくるものがある。少しずつ、乾いた土に水がしみこむように、働くことのよろこびを取り戻していく。
「どの人にも、信じた仕事から逃げ出したくなって、道からずり落ちてしまうことがあるのかもしれない」という言葉が口を突いて出たとき、主人公はファンタジー小説めいた世界から橋を渡り、現実サイドへと帰還を遂げます。
好きな仕事、本気で打ちこめると信じた仕事だからこそ、しんどい……そう感じておられる本欄読者の方々に、特におすすめしたい小説です。
文藝春秋文藝出版局第一文藝部副部長
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