最初の主人公・明良は、ビール会社の営業課長。若手から信頼され、妻と仲がよく、学生時代の友人も大切にするいい男。営業の仕事で、錦糸町から東陽町のスーパーをまわって注文を取ったあと、ふと懐かしくなって、20代のころにお世話になった小さな酒屋さんをのぞいてみたりしています。
2人目の篤子も、結婚前は大手商社で働いていました。伊勢丹で昔の同僚と偶然会ってお茶を飲んだとき、「あなたみたいな女性が、これからは活躍していくんだろうなって思ってたのよ」と言われてびっくり。「男になろうとするんじゃなくて、ちゃんと女のままで活躍できる人がいるとしたら、きっとあなたみたいな人なんだろうなって」。
3人目の主人公・謙一郎は、TV局の報道ディレクター。趣味は和太鼓で、名前の入った檜づくりのバチを持っているほど(太鼓はレンタルなので、仕事帰りに練習にいけます)。祖母ゆずりの長唄好きで、その趣味がなかなか取材に応じてくれないiPS細胞の研究者・佐山教授の心を開くことになるのです。
互いに面識のない3人の暮らしに、小さな事件が起こります。玄関先にとりつけた監視カメラの映像をのぞきこむ明良。夫の秘密を知ってしまう篤子の動揺。謙一郎が見る、男たちが穴を掘っている悪夢。静かな緊張感が持続し、なにが起きるのか、とこわいもの見たさで読み進めるうちに、なんと舞台は2085年へ!
70年後の日本へ
70年後の日本、どのような社会になっていると思われますか? より便利で、安全で、長生きできる未来へむけて、さまざまな仕事の現場で、具体的な取り組みが進んでいることでしょう。
もちろん吉田さんも、ひたすら悲観的に、真っ黒なディストピアを描いているわけではありません。70年後の小説世界でも、ごく普通の人たちが、便利な生活を送っています。
ただ、街角に監視カメラが増え、過剰に正義をふりかざす声があふれ、寛容さが失われつつある今の空気からその先を想像したとき、生まれついての格差が広がり、こんな悲しみや無力感を抱いて生きる人々が、出てこないとも限らない――それが杞憂だとよいのですが。
「橋を渡る」というタイトルについて、考えます。なんとか実感を得たいと、作中に出てくる四谷見附橋やレインボーブリッジを歩き、出張先の大阪の中之島や福岡の中洲にかかる橋も、次々渡ってみました。橋が高くて、長ければ、渡りきるにも勇気が要りますが、向こう側の景色は格別です。
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