人の手で洗う、磨く。
それは除菌や消毒とは別の清潔感である。すべての菌を悪として、強い兵器で悪を滅ぼすという征服の発想ではなく、本来の姿に戻してやる、大切に扱うという共生の在り方。万物への敬意のようなものを感じるのだ。
今、日本人は除菌に熱心だが、そこに「きちんと」の思想は見当たらない。祖父母の世代、両親の世代がいなくなったらフェードアウトしてしまいそうな絶滅危惧のメンタリティである。 ――「まえがき」より
うかがったお店に共通して感じたのは確かに、清々しい空気でした。それは、「お掃除チェックリスト」があって、マニュアル的に必要項目をクリアしています、という掃除の仕方ではおそらく生まれない空気です。
本書の帯に、“「サービス」では永久にたどりつかない何かを探った”という言葉を使いました。人が心で動くとき、金銭的価値との交換という枠からはみ出す何かが生じて、人を惹きつける。それは、掃除だけでなく、お客さまへの声がけ、お料理を出したりお皿を下げたりするタイミング、すべてに通底していることのような気がしました。
そしてそれはそのまま、自分の仕事にも、宿したいもの。本書を通して出会った方々のように仕事をしていきたいと、思うようになりました。
改めて生まれている「昭和」の価値
そして本書の隠れた魅力をもう一つご紹介させてください。それは、各章末の“註”の充実ぶりです。
「昭和の店」たちは、戦前、戦中、戦後と、経済や文化の時代のうねりとともに生き抜いてこられています。文中に出てくる、各々の時代の流行、事件、固有名詞を井川さんが丹念に調べ、読みやすい文章で綴られた“註”は、それを読んでいるだけで昭和の空気感を感じられ、意外と知らなかった「昭和」も、たくさん詰まっています。
井川さんが昭和の店に足を運ぶようになったのと時を同じくして、国内外で活躍する30~40代の料理人、ソムリエたちもまた、昭和の店の話をよくするようになっていたそうです。昭和40年代から50年代に生まれ、10代で昭和が終わった世代の彼らが感じているのは、ノスタルジーでは全然なく、新しさ、刺激ではないか、と井川さんは言います。
私が働くミシマ社は、社員の半数が平成生まれ。たしかに彼らも、懐かしいものとしてではなく、自分たちが現在進行形で血肉化したいものとして、本書を貪欲に読み込んでいる様子がうかがえます。
あとがきには、こんな言葉があります。
「その、なんか正しい感じに私は憧れる」
“その、なんか正しい感じ”を、たくさんの方に味わっていただけたらと思います。
本書を読んだのは1年以上前だと思うのですが、あまりのインパクトに、今でも、あっちの世界がパラレルにこの世に存在して、あの人たちが日々生活をしているのではないかと感じてしまうほど。“「やられた!」の1冊”というお題を見て、まっ先に思い浮かびました。
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