私の編集した本読んでください!
『
昭和の店に惹かれる理由』井川直子著、ミシマ社
担当:星野 友里(ほしの・ゆり)ミシマ社編集チーム
本書の著者、井川直子さんは、普段お会いすると「ほわわん」とした優しい雰囲気の方です。
たとえば、とある真冬の日。取材に10分ほど遅れて到着された井川さん、息を切らせながら、「本当にすみません、ポーチを忘れて取りに帰ったら、今度はお財布を忘れてまた取りに帰って、そしたら今度はコートを家に忘れたんですけど、そのまま来ました…!」と寒そうな格好で仰っていたこともありました。
ところが、文章になるとその雰囲気は一変。余計なものがそぎ落とされた硬派な文体で、緻密に言葉を重ね、対象を浮かび上がらせる原稿には、ある種の気迫がみなぎります。そしてその文章には、中毒性があるのです。
「昭和の店が、気になっているんです」
2015年の初夏に、井川さんからお話をうかがったときには、どんな本になるのか、それほどピンときていたわけではありませんでした。おそらく井川さんご自身も、まだおぼろげな感覚をつかもうとしている、そんな感じだったと思います。けれども、この年の初めに弊社から発刊した『シェフを「つづける」ということ』で、すっかり井川文体の中毒になっていた私は、「ぜひ本にしましょう!」と、迷いなく言っていたのでした。
そこからの井川さんのエネルギーは圧巻でした。
「サービス」では永久にたどりつかない何か
100軒以上の「昭和の店」を、毎日のように、多いときは1日に何軒も訪れ、アンテナに引っかかるお店があると、「一緒に行きませんか」とお誘いの声がかかります。お店にうかがうと、本書に登場する、かっこいい大人たちのお仕事と、美味しい食事が待っているという至福の時を、約1年にわたり、ともに過ごさせていただきました。
本書に登場くださった10軒のお店の中には、普段、ほとんど取材を受けられないお店も含まれています。
そんなお店の方々が、前述の『シェフを「つづける」ということ』をたまたま読んで井川さんのことを知ってくださっていたり、あるいは取材依頼のお手紙と一緒に本をお渡ししておくと、後日それを読んで取材を引き受けることを決めてくださることもありました。こうして、本がつなぐご縁を感じられたことも、今回の取材の、とても嬉しい出来事のひとつでした。
そんなふうに取材を重ねる中で見えてきた、“昭和の店に惹かれる理由”とは…。それは一冊の本を通してしか語り得ないもので、本書を読んでいただくのが一番なのですが、ここではその一端だけをご紹介したいと思います。
人の手で洗う、磨く。
それは除菌や消毒とは別の清潔感である。すべての菌を悪として、強い兵器で悪を滅ぼすという征服の発想ではなく、本来の姿に戻してやる、大切に扱うという共生の在り方。万物への敬意のようなものを感じるのだ。
今、日本人は除菌に熱心だが、そこに「きちんと」の思想は見当たらない。祖父母の世代、両親の世代がいなくなったらフェードアウトしてしまいそうな絶滅危惧のメンタリティである。 ――「まえがき」より
うかがったお店に共通して感じたのは確かに、清々しい空気でした。それは、「お掃除チェックリスト」があって、マニュアル的に必要項目をクリアしています、という掃除の仕方ではおそらく生まれない空気です。
本書の帯に、“「サービス」では永久にたどりつかない何かを探った”という言葉を使いました。人が心で動くとき、金銭的価値との交換という枠からはみ出す何かが生じて、人を惹きつける。それは、掃除だけでなく、お客さまへの声がけ、お料理を出したりお皿を下げたりするタイミング、すべてに通底していることのような気がしました。
そしてそれはそのまま、自分の仕事にも、宿したいもの。本書を通して出会った方々のように仕事をしていきたいと、思うようになりました。
改めて生まれている「昭和」の価値
そして本書の隠れた魅力をもう一つご紹介させてください。それは、各章末の“註”の充実ぶりです。
「昭和の店」たちは、戦前、戦中、戦後と、経済や文化の時代のうねりとともに生き抜いてこられています。文中に出てくる、各々の時代の流行、事件、固有名詞を井川さんが丹念に調べ、読みやすい文章で綴られた“註”は、それを読んでいるだけで昭和の空気感を感じられ、意外と知らなかった「昭和」も、たくさん詰まっています。
井川さんが昭和の店に足を運ぶようになったのと時を同じくして、国内外で活躍する30~40代の料理人、ソムリエたちもまた、昭和の店の話をよくするようになっていたそうです。昭和40年代から50年代に生まれ、10代で昭和が終わった世代の彼らが感じているのは、ノスタルジーでは全然なく、新しさ、刺激ではないか、と井川さんは言います。
私が働くミシマ社は、社員の半数が平成生まれ。たしかに彼らも、懐かしいものとしてではなく、自分たちが現在進行形で血肉化したいものとして、本書を貪欲に読み込んでいる様子がうかがえます。
あとがきには、こんな言葉があります。
「その、なんか正しい感じに私は憧れる」
“その、なんか正しい感じ”を、たくさんの方に味わっていただけたらと思います。
本書を読んだのは1年以上前だと思うのですが、あまりのインパクトに、今でも、あっちの世界がパラレルにこの世に存在して、あの人たちが日々生活をしているのではないかと感じてしまうほど。“「やられた!」の1冊”というお題を見て、まっ先に思い浮かびました。
本書が描く、人工授精の技術が発達したもう一つの日本では、夫婦間のセックスは〈近親相姦〉とタブー視され、女性も、そして人工子宮を使って男性も、人工授精で子供を産みます。
…こう書くと、極端なSF世界のように感じられるのですが、冒頭から読み進めていくと、なんともすんなりと、「こういうことって、近い将来起こり得る気がする」と思えてしまうのです。
夫婦が“しない”世界の不思議な現実味
むしろ、現実世界で話題にのぼることの多い「少子化」「セックスレス」「不倫」「未婚率の増加」「恋愛しない若者たち」といった現象の根本にある人間の本音が、このパラレルワールドを通して透けて見えてくる気さえします。
村田さんも、テレビなどで拝見すると「ほわわん」とした優しい雰囲気ですが、ペンを握れば、こんな世界を生み出される。そしてその文章は、中毒性アリです。
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