この本は、最初に仲谷正史さんに企画をいただいてから、刊行までに4年の歳月を要しました。それは、触感という感覚を言葉で語ることがとても難しいからではないかと思います。触感は「さわればわかる」ものですが、あらためて説明するのは至難の技です。「やわらかい」とは。「水の触感」とは。「ふにゃふにゃ」とは(「へにゃへにゃ」とどこが違うのか)。触感のなんたるかはよく知っているのに、とらえようとすると逃げてしまうのです。

 私はこれまで、触覚/触感とは、ものの形や手触りを感じることだと思っていて、そこにはなにも不思議なことはないと思っていました。でも、「触れること」でなぜ形がわかるのか、ということ自体、考えてみると、だんだんよくわからなくなってきます。

 しかも、本書で扱っているのは、それだけにとどまりません。触れることで、私たちは、温度や、心地よさも感じています。さらに触感には、視覚や聴覚といった五感のほかの感覚、記憶や想像力まで関係していると著者は言います。だからこそ、私たちは、絵画を見たり音楽を聞いたりする体験のなかに、「触感」を感じるのです(それがどういうことなのかについては、ぜひ本を読んでみてください!)。

 本の中でも紹介されていますが、やわらかいソファに座っていると、固い椅子に座っているよりも、気持ちが「やわらかく」なります。あるいは、小さな椅子に座っていると、大きな椅子に座っているよりも、(気が「小さく」なって)不正をしなくなったり、重いものを手に持っていると、判断が「慎重」になる傾向があります。そんな驚きの実験結果が、つぎつぎと明らかになってきています。「触感」という視点から眺めることは、ビジネスや物作りにとっても新しいヒントになるのではないでしょうか。

その色の名前をまだ知らない

 ものに触れるときや、だれかと握手やハグをするときは、まだ意識されず、名前もつけられていない、さまざまな「何か」を、身体と心は受け取っている。それはちょうど、最初にお話しした、「色に明暗を見ていて、まだ色の名前を知らない状態」に似ていると思います。その「何か」をなんとかつかまえようと、触感にまつわるさまざまなトピックスを集めたのがこの本です。やわらかい本なので、どうぞよろしくお願いします。

 さて、最後に。著者たちの発明した「テクタイル・ツールキット」は、触感を記録し、伝送するための簡易型ツールキットです。これを使うと、例えば、紙コップの中でビー玉が回る感触を記録し、中になにも入っていない紙コップに「ビー玉が回っている感じ」を再現することができます(と言っても、どういうことかよくわからないかと思うのですが・汗。いくつかの書店では、実際にテクタイル・ツールキットを展示していただいているので、ぜひ体験してみてください)。

 この道具は、これまでは切り離せなかった「モノ」と「触感」を、切り離すことを可能にします。ようやく触感についても、人工的に操作できる、デザインできる時代がやってきたのです。

 「人工の絵の具や染料を目にするようになった」ことが、色の見方を変えたように、触感を自由自在に操る技術は、私たちの認識の仕方を変えるかもしれません。いま生まれつつある触感テクノロジーがどんな未来をもたらすか。そんなこともちょっとだけ垣間見ていただけたらと思います。

そんな私が「やられた!」の1冊
脳はすごい――ある人工知能研究者の脳損傷体験記』(クラーク・エリオット 青土社)
脳はすごい』(クラーク・エリオット 青土社)

 人工知能を専門とする大学教授である著者は、車に乗って信号待ちをしているときに別の車に追突され、頭部に強い衝撃を受けました。その直後からおかしな症状が現れます。例えば、自分がすでに免許証を見せたことを知っているのにもかかわらず、「免許証を確認しますか?」と何度も尋ねてしまう。「免許証を見せた」という情報を、心の中の別のプロセスが利用できなくなっていたのです。