利益に余裕ある時、ブランド育てる努力せず
尾原:日本のアパレル業界は経済成長に乗って黄金時代を迎えました。流行があり、価値が不安定なものをビジネスにしてみたら、こんなに利益が出るということを初めて知ったのですね。この時は、自分でデザインしたり、産地に赴いたりして商品を開発しなくても、海外の有名ブランドをライセンス契約で日本に持ってくればいいというようなビジネスでした。
さらにもっと安易に、ブランドや、デザインのアイデアやパターンを輸入するようになりました。利益が出て余裕がある時期だったにも関わらず、自らブランドを育てる努力をしなかったのです。大手アパレルは社名とブランド名が別のことが多いですよね。今では、ブランド自体も“単なる呼び名”の域をでないものが何百もありますが、それらはアパレル企業が、百貨店などと有利に取引するという流通対策として生まれてきたわけです。この点でも、経済成長の時代の成功体験から抜け切れずにきてしまいました。本当の意味での、モノ作りやデザインに力を入れず、人材やブランドを長期的な視点で育てられなかった。
ブランディングの重要性自体は、みんな分かってはいたと思います。そもそも日本の老舗ののれんが、どれだけのエネルギーによって生み出され、維持され続けているのか。そういう素地が日本にあったのに、戦後に米国式のマーケティングが入ってきて、宣伝やプロモーションによってモノが売れる経験をしました。ひとつのブランドに想いを込めて、哲学やコンセプトを定め、ブランドに合わないことはやらない、というように、突き詰めることでようやくブランドが維持できる。それなのに、露出や知名度を上げることだけに腐心し、目先売れそうなものを追いかけ、百貨店のいい売り場を取ることが、ブランディングだと考えていたのです。そうした施策が奏功して売れたわけではなかったかもしれないのに、結果的には経済成長やバブル景気に乗って、売れてしまったのです。
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