コンビニという仮面を脱いだ人間の姿に目が行く

『コンビニ人間』を読むと、コンビニが好きという思いも伝わってきますが、もちろん単純に肯定しているわけでもない。小説家の目でみると、コンビニの変なところ、少しグロテスクなところも、見えてきたと、村田さんは記者会見などで話していましたが、それはどんなところでしょうか。

村田 国籍や男女を問わず、全く同じ服を着て、男女の差があまりないのです。お店では外国の方が一緒にいっぱい働いているということをずっと経験してきましたが、そういう方が「これ温めますか」とか、コンビニ用語を片言ながらも、だんだんナチュラルにしゃべれるようになっていきます。みんなが、コンビニの店員という形に、足並みをそろえていく感じ、それは前から、おもしろいなとか、不思議だなと思っているところです。
 でも、私は「コンビニ愛」が強いので、書いていて思ったのは、コンビニというよりは、むしろ普通の人間の、コンビニというものを脱いだ普通の生身の人間のグロテスクさみたいな部分に、目が行くようになりました。

 『コンビニ人間』では、そこで働いている人たちの、生身の人間としての実態が、ユーモアも交えて描かれています。

村田 そうですね。いつも自分がコンビニにいるときは、みんなが店員とか店長といった役割やペルソナ(仮面)をかぶっている部分を、素晴らしいな思ったり、尊敬し合ったり、影響し合ったりという中で働いています。でも、小説を書くに当たって、登場人物たちの、その仮面を脱いだ姿、人間の姿というのにちょっと目が行くようになった。何かそういう感じがしています。小説を書くに当たっては嫌な部分も描きたくて、嫌な人間、人間の嫌な側面も書きました。

小説の中では、自分自身がコンビニで働いているのに、「コンビニのバイトなんて」というようなこと言う人たちが出てきます。これも人間の本性ということかもしれません。実際、村田さんが働いている場所でも、似たようなことがありましたか。

村田 一緒に働いている内部の人間というよりも、やっぱり外の人から言われることが多いですね。コンビニバイト、誰でもできる、みたいに。例えば同窓会とか、めったに会わない人とかのほうがそういうことを言いますね。
 私自身、ちょっと悲しい気持ちがどこかにあったのでしょうね。

小説では、何歳で結婚して、正社員で就職して、というように世の中が「普通」を押し付けてくる息苦しさが描かれています。コンビニというものに対する世の中の視線にも似た問題があるのでしょうね。

村田 イメージでしょうね。コンビニでバイトしている、イコール楽なバイトをしているみたいなイメージを持っている人が一定数いるなと感じるときはあります。大切な仕事だと思っているので、ちょっと悲しい気持ちにはなりますね。

この奇抜なタイトルでいいか、最後まで悩んだ

バイトも含めて店員さんの働き次第で、お店の売り上げはかなり変わるものではないですか。例えば村田さんは商品の発注などもしますか。

村田 最近は消耗品といって、お箸などの発注しかしていないのですが、以前勤めていたお店では結構売れるもの、例えばチョコレートやお握りとかもやったことがあって、結構大変でした。今週は新商品の何を100個売りますとか、そういう目標みたいなものを立てて、売り場をつくって、POPをつくってということをしていく。例えば新商品のチョコレートを何百個も売っていく店員さんもいれば、全然売れないところに置いちゃう店員さんもいる。店長が指示もしますが、店員の力も大きいかなと思っています。