セゾングループの関係者から、清二氏は新事業を生み出すことには執念があっても、続けることに関心が薄かったと、聞いたことがあります。
児玉:清二氏には息子が2人いますが、セゾングループを未来永劫守り、継承しようなどということも、考えていなかったのではないでしょうか。
父親との確執の一方で、母と妹への愛情は深いですね。本ではインタビュー中に、清二氏が泣いたことを書いていますが、一番感情が高まったのは、母親の話のときでしょうか。
児玉:もうしどろもどろになるのです。心が揺れ動くというか。おそらく、母と自分の妹である邦子さんについては、3人で生き延びてきた同志という気持ちも強いのでしょう。それに対して、父親の康次郎氏は、その3人で生きてきた中に進入するインベーダーだったんだと思います。だから、彼の中では父親の約束うんぬんと言うけれども、どこかでやっぱり憎んでいるし、父康次郎に愛された自分というのも完全に妄想であり、作られたものでしょう。
やはりそこは、児玉さんとしては妄想というふうに、解釈したのですね。
児玉:私はそう思います。あれはもう、そういうふうに思いたいということなのでしょう。そういうふうに思わないと生きていけない。だから、彼は運命にあらがい、業にあらがい、七転八倒しながら闘ったんだと思うんです。
本当に愛されたことがない子供が愛を探す作業みたいで、それを聞くたびにこの人はある種の狂気に取りつかれていて、一方では85歳の老人が赤子のように愛をまさぐるさまというか、愛を見つけようとしているさまが、やっぱり哀れにも思いました。
でも愛されていたという話を聞いていて、「清二さん、それはうそでしょう」とはさすがには言えませんでした。一瞬言おうと思ったんだけど、僕はそれを言えなかった。
膨張の背景に義明氏への対抗心
妄想ということでいえば、この本の中で清二氏は、父は本当は自分に継がせたかったのだが、私が断ったというようなことも言っていますね。
児玉:そこは矛盾があるのですね。一方では清二氏は、僕は当時の場末の西武百貨店をもらったけれども、赤字だからもらったんだという言い方もしています。清二氏には「僕は義明よりはるかに優秀だし僕の方が絶対にできる」という思いがある。だけど、やっぱり父親は自分ではなくて義明を選んだことがずっと屈辱だったんですよ。それをはっきりは認めなかったんだけど。だから、その赤字の西武百貨店から始まった事業が、結局彼一代でセゾングループという巨大グループに育っていくわけですよね。見て見ろと、そんな赤字の会社1個から始まって、すごろくを上がったらここまで来たぞ、みたいなものはやっぱりすごくあって。
熱海に行ったシーンが印象的でしたね。康次郎氏に呼ばれて、客観的には事業の継承者が義明になることを告げられるのですけれど、清二氏は、自分から継承を断ったみたいな言い方をしている。
児玉:そうです。それは彼にとっての屈辱の裏返しで、そう言わないと収まりがつかないのだと思いますね、自分から断ったんだと。何で継承者が俺じゃないんだという部分は、やっぱりものすごくあったと思いますよ。だから、もう本当にセゾンは膨張に次ぐ膨張をするわけじゃないですか。セゾングループの西洋環境開発の膨張は、本当にその典型です。
義明氏に負けないというライバル心を、象徴するのは、セゾンが1980年代以降、大々的に展開したホテル事業でしょうね。本では、義明氏が手掛けていたプリンスホテルを清二氏が「宴会ホテル」と評するところもありますね。
児玉:義明氏について話すときは、言葉にとげがありましたね。天才の天才たるゆえんなのでしょう。相手が傷つくとか相手がどんなふうに思うかはまったく考えていない。「だって宴会ホテルでしょう、どこが悪いの」という感じなんですよ、彼にすれば。義明氏については、彼と話していてもまったく面白くないし、話が合わない、と言っていましたね。ずっと「義明君」という言い方でした。だめな子なの、この子は、という感じで。
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