そのころの日本は中曽根内閣ですか。

手嶋:はい。中曽根総理が政府税調に"暴れ馬"と呼ばれた民間出身の特別委員を十人起用したのですが、そのうちの一人とぼくは親しくしていました。事情を打ち明けると、その人に話をしたところ、「関税引き下げを示唆するような文言を一つだけ入れこんでやる」と、約束してくれたのです。

なんか、微妙に最近の騒動と重なる感じがいたしますが。

手嶋:いや、これは公明正大なロビー活動ですよ。忖度をしてください、と頼んだわけじゃない。暴れ馬の一人が、当時の大蔵省に貸しがあり、政府税調の答申の表現をわずかに変えることで、その貸しをほんの少し回収してくれたのです。イギリス大使は、これを捉えて、「日本政府は関税引き下げに向けて一歩譲った」と、ロンドンに公電を打ったのです。貿易交渉では、ちょっとした形容詞、もしくは副詞が、実に大きな意味を持つのです。

譲歩の道筋に信憑性を与えるということでしょうか。

手嶋:そういう形容詞を捉えて、対日工作が進んだと、本国に説明ができるのですから。そうした作文にかけて、彼らイギリス外交官はプロ中のプロです。交渉を進める糸口ができたと、さぞかし詳細なテレグラフを本国に送ったことでしょう。
 そんなこと、自分では長いこと忘れていたのですが、ワシントンでぼくが無酸素登頂を試みているときに、件のイギリス大使が親友を介して「借り」を返してくれたのでしょう。

機微の先に機微があり、というお話ですね。

手嶋:ケモノ道です。あの街に棲むその道の人たちのインテリジェンス能力は研ぎ澄まされています。キューバ・ミサイル危機で暗躍したのも、そうした人たちです。中でも、最も質の高い情報を持っていたのが、ワシントンとモスクワを結ぶ中間に位置していた、ロンドンのインテリジェンス関係者、中でもケモノ道に棲む達人たちでした。

語学力があってもセンスがないと

素朴な疑問ですが、記者の手許にもたらされる情報は玉石混交だと思います。どうやってそこから大切なものが分かるのですか。

手嶋:最後は磨き抜かれた勘。功をあせるとガセネタを掴まされてしまいます。そもそも日本には「インテリジェンス」の満足な訳語すらないのですから、随分と苦労しました。

 池上さんとの対談でもお話しましたが、雑多で膨大な「情報」は、英語では「インフォメーション」。「インテリジェンス」とは、その雑多で膨大な情報の海から貴重な宝石の原石を選び抜き、分析し抜き、彫琢し抜いた、その最後のひと滴を指します。
 それを見分ける力は、苦い体験を通して徐々に鍛えられていったという感じです。

インテリジェンスとは「スキル」として語れるものですか。

手嶋:いえ、スキルではなく「センス」です。どんなにアタマのいい人でも、センスがなければ何も読み取れません。その点で、競馬やカジノと一緒。つまりギャンブルの要素が含まれます。

センス。そしてギャンブル。

手嶋:ワシントンには日本人記者の中でも、指折りの英語遣いがいるわけです。そういう人は、重要な政局のブリーフィングの後に、ぼくらに向かって「いまの英語分かった? 難しかったでしょ。訳してあげるよ」なんて言ってくるのですが、翌日に的確な記事を書くのは、教えられた方。英語を教えていた当人の記事は、えてして、まるで的をはずしている、ということがありました。