映画『アナザー・カントリ―』では、ケンブリッジ・ファイブの一人、ガイ・バージェスを、俳優のルパート・エヴェレットが二重スパイの雰囲気を巧みに表しながら演じました。

手嶋:ケンブリッジ・ファイブの時代も複雑な陰影に彩られたものですが、何といっても、大帝国の精華は、キム・フィルビーの父親、シンジャン・フィルビーが生きた19世紀末、これが極め付きです。

 シンジャンは19世紀末、帝国主義の列強が中央アジアを舞台に「グレート・ゲーム(熾烈な情報戦)」を戦った時代の系譜を継いでいます。彼はアラビア学者、探検家、作家として名高く、アラビア半島がオスマン・トルコから独立した時の立役者の一人。そして、筋金入りの反英主義者でもありました。途方もない畸人を生み出す大英帝国の中でも、飛びぬけてエキセントリックな人物です。

 サウジアラビアの初代国王イブン・サウードの信頼が厚かったシンジャンは、サウジアラビアとアメリカの政治・石油同盟にも大きな貢献をしました。シンジャンの暗躍によって、アメリカは原油採掘権という、20世紀の世界を動かす利権を手に入れた。ここから大英帝国が凋落し、新興国家アメリカがロンドンから覇権を奪っていくのです。

スケールが大きいですね。

手嶋:激動する時代背景もそうですが、人間的な魅力が、もう、現代の人たちとはかけ離れている。言ってみれば、スパイで、裏切り者で、詐欺師の華麗な絵巻物です。その大英帝国の偉大なヒューミントのエッセンスが、ケンブリッジ・ファイブをはじめ、幾多のスパイたちに引き継がれていきました。 

望まないワシントン勤務でケモノ道に入る

そもそも手嶋さんがインテリジェンスの世界に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。

手嶋:1987年にNHKの特派員としてワシントン行きを、突然命じられたことがきっかけです。

政治部記者から抜擢されて。

手嶋:NHKのワシントン駐在は、抜擢なんかじゃないですよ。NYならみんな行きたいでしょうが、ワシントンはいい劇場も、いいレストランもなく、仕事だけが忙しい。政治部の記者なら永田町にいる方がいいに決まっています。実際、局内で打診された人たちが、みんな断った末に、ぼくのところにお鉢が回って来たのです。

 ぼく自身は志してジャーナリストになったわけではないんです。したがってやる気にも乏しい。すみません(笑)。ワシントンなんかに赴任してもプロとしてやっていく自信はまったくありませんでした。

本当でしょうか。自己韜晦のような感じもお見受けします。

手嶋:いいえ、謙遜している訳じゃない。もう、すぐに日本に帰してもらおうと思っていました。その前に、スミソニアンの博物館群だけは見ておこうと思っていましたけれど。あそこには、フェルメールの作品だけでも五点が収蔵されていますからね。

本当にダメ記者だったのですか。

手嶋:ダメというより、無酸素でエベレストに登るようなものでした。ワシントンで特派員が生き抜く条件はたった一つ。その時々の大統領と、どれくらい距離が近いか。それがすべてで、あの街では距離が遠い人は無価値。じつに過酷な舞台なのです。

しかし手嶋さんのワシントン駐在は、支局長時代も含めて十数年にも及びました。

手嶋:これほど長く居座るきっかけは、一本の電話でした。一刻も早く帰ろうと思っていたときに、イギリスのその筋の紳士が、手を差し伸べてくれたのです。

どういうことでしょうか。

手嶋:あるとき、小さな、しかしインサイダーが集まるホテルに「来なさい」と、長老が言ってきた。出向いたぼくは、「ここでは通用しないので、早々に帰国しようと思っています」と彼に伝えました。そうしたら、「お若いの、そう慌てるものではない」と、コースターの裏に電話番号を二つ、書いてくれた。思えばあれがケモノ道の入り口でした。

まさしくインテリジェンス小説のような場面ですが、なぜその長老は手嶋さんを助けたのでしょう。

「貸し」を返してくれたイギリス人

手嶋:日本で当時のイギリス大使のちょっとしたお手伝いをしたことがあり、その「貸し」を、友人を介して返してくれたのです。英国紳士はじつに義理堅い。

その「貸し」の中身とは?

手嶋:いや、当時、イギリス産のウィスキーの関税引き下げについて日英交渉が行われていたのですが、大蔵省は圧倒的な力を持っていて、イギリスもその堅城をなかなか抜けませんでした。

 ぼくのイギリス人の親友が、駐日イギリス大使の秘書官を務めていたのですが、彼が言うには、「ボスは東アジア外交のプロで、経済交渉は専門じゃない。関税引き下げに苦戦している」ということで、力を貸してほしいと。