手嶋:彼らユダヤ人は民族の歴史を口承で伝え続けてきた記憶の民です。キッシンジャーは、幼少のころから記憶力を鍛えることで、知的能力を育んできた。最高の知は、記憶の海から生まれてきたことを、体験的に知っていたのでしょう。彼らが「ネット検索は言語能力、論理的思考力を弱める」と警告していることは、覚えておいたほうがいいでしょう。

若い世代には、キッシンジャーと言っても、すぐには通じないかもしれませんが、現代史の巨人ですよね。

手嶋:ぼくは、キッシンジャーに「米中の劇的な接近」についてインタビューをしたことがあります。この人もクレマンソー級の難物です。カメラクルーを伴って約束の時間に訪ねたのですが、2時間経っても現れない。どきりとするほど美しい秘書が「ごめんなさいね」と悲しそうな顔をするのですが、本人は一向に姿を現さず3時間。ようやく出てきたと思ったら、憮然とした表情で「今日は忙しい、5分だな」って。

ノーギャラで不機嫌だった大物

うわ、いやな人ですね。

手嶋:そう、人柄がとても悪い。でも僕はこれほど人柄の悪い人物は、どちらかというと好きなんです(笑)。

何か相通じるところが……。

手嶋:ぼく、人柄はいいと言われています。やっぱり畸人が好きなんでしょうね。こういう人物に「アポはちゃんといただいています」などと言っても意味がない。壁に掛かっている中国の書を見上げながら、「1972年の『上海コミュニケ』によって、東アジアの波は30年を超えて、穏やかであり続けてきました。あなたが果たした現代史の役割の重さについてうかがいたい」と、持ちかけました。すると、堰を切ったように滔々と話し出して、あとは止まらない。

結局、いい人だったんですか。

手嶋:いいえ、全然。僕はインタビューに謝礼を支払わないことにしています。彼はギャラなしだと秘書から聞き、まず、そこでヘソを曲げたようなのです。NHKをはじめ、日本のテレビメディアは、法外なインタビュー料を支払っていましたから。

誤解のないように補足しますと、それはケチでも傲慢でもなく、メディアの公平さを保つためには、おカネを払うべきではない、というジャーナリズム原則ですね。

手嶋:そのとおりです。ただし、スタジオにお招きした際は、出演料は差しあげていました。キッシンジャーについて言えば、あれほどのジコチュウでなければ、歴史的な偉業は成し遂げられないのかもしません。

ギャラなしでヘソを曲げる、という大物の素顔が伝わってきました。

手嶋:ネットで情報を得ることを、ぼくは全否定するわけではないですよ。でも、そこからは何も生まれません。取材者と取材相手との間にある信頼関係は、鼻先でドアをバチャンと閉められたり、冷たい雨の中をずっと待たされたりする中から、徐々に醸し出されてくるものです。相手の懐に飛び込み、相手から反発されながら、少しずつ信頼を得るようになり、そこから誰も知らない情報が手に入ってくる。インテリジェンス活動も同じです。そういう、人と人とのぶつかり合いこそが重要だと言いたいのです。

ご本では、19世紀末から当世まで、インテリジェンスの歴史を紡いだ、濃い人々を描かれています。

手嶋:第一章では、パナマ文書で一躍有名になったパナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」をとりあげ、習近平、ウラジミール・プーチン、ぺトロ・ポロシェンコら、当代の「紳士たち」を描いて、導入にしました。

 最終章では、ウィキリークスのアサンジと、アメリカ国家機密を暴露したスノーデンで、サイバースペースに移行した「インテリジェンスのいま」を提示しています。

 その真ん中に、ジョン・ル・カレ、キム・フィルビー、ニコラス・エリオット、リヒャルト・ゾルゲら、20世紀の諜報界を彩ったスパイたちを配しました。

主役の魅力は前世紀が勝る

いまや諜報の主戦場は、サイバー空間と宇宙の二つとのことですが、キャラクターの魅力でいえば、何といっても前世紀のスパイたちですね。

手嶋:書き手としても、まったく同じ思いです。アメリカの情報活動のミもフタもない現実を暴露したアサンジもスノーデンも、一種のアナーキストだったり、リバタリアンだったりで、20世紀の大物に較べると人物像で見劣りがしてしまいます。パワー・レベルがぐんと落ちてしまうのですね。サイバー時代の幕があがる前は、登場人物たちがなんともカラフルで、精彩と陰影に満ちている。

たとえば、米ソ冷戦時代にイギリス秘密情報部(MI6)ワシントン支局長という機関中枢を務めながら、クレムリンの二重スパイだったキム・フィルビー。

手嶋:キム・フィルビーは、ケンブリッジ大学在学中に、マルキシズムに傾倒し、クレムリンのスパイになる道を選んだ人物です。後に「ケンブリッジ・ファイブ」と呼ばれた、「五人の赤い仲間」の一人です。