「マネジメントに必要な資質は真摯さである」「人こそ最大の資産」といい、人間主義を貫いたドラッカー。一方、コリンズは、「不適切な人材はバスから降ろすべき」と主張。一見、相反する両者だが、思想の根底ではつながっていた。果たしてイノベーションに必要なのは何なのか。ドラッカーが小説形式で学べる『もしドラ』の続編を執筆した岩崎夏海氏と、ドラッカーとコリンズに何度もインタビューしたことがあるジャーナリストの牧野洋氏に語っていただいた。

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牧野さんはコリンズとはどのようなきっかけで出会ったのでしょう?

牧野:最初は2000年頃に、雑誌『日経ビジネス』の特集でインタビューに行きました。僕がまだ編集部に在籍していた頃です。そのとき、コリンズは過去100年に及ぶマネジメント史について語り、その中でドラッカーの話をしてくれました。マネジメント史には5段階あり、ドラッカーは第3段階の「マネジメントの発明」に位置すると説明したんです。

岩崎:コリンズとドラッカーは、コロラドでつながっているんですよね。

牧野:そうなんです。コリンズはコロラドのボルダーに経営研究所を開いていて、僕もそこへインタビューに行きましたが、ドラッカーにとってもドリス夫人に連れられてコロラドでハイキングや山登りをすることはとても重要なことだったんですよ。

 ドラッカーは全著作の4分の3を60代になってから書いていて、90歳を超えてもいろいろな論文を書いていました。とてもプロダクティブな晩年だったんですね。これも健康管理あってこそなんです。教鞭をとっていた大学には片道30分かけて歩いていましたし、晴れた日は自宅のプールでよく泳いでいました。

<b>岩崎夏海(いわさき・なつみ)</b><br/>1968年生まれ。東京都日野市出身。東京藝術大学建築科卒。大学卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』等、テレビ番組の制作に参加。その後、アイドルグループAKB48のプロデュースなどにも携わる。2009年12月、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社)を著し、ベストセラーに。(写真:大槻純一、以下同)
岩崎夏海(いわさき・なつみ)
1968年生まれ。東京都日野市出身。東京藝術大学建築科卒。大学卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』等、テレビ番組の制作に参加。その後、アイドルグループAKB48のプロデュースなどにも携わる。2009年12月、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社)を著し、ベストセラーに。(写真:大槻純一、以下同)

岩崎:それですごく長生きもしましたね。

牧野:ドラッカーの健康管理は、すべてドリス夫人の指導でしょう。ドリス夫人はドラッカー以上にスポーツウーマンで、90歳や100歳になってもクレアモントクラブというスポーツクラブに毎週3回通ってテニスをしていました。僕もクレアモント在住のときは、そのスポーツクラブでドリス夫人に時々ばったり会っています。

 ドラッカーは知識労働者、ノウレッジワーカーという概念を編み出したことでも知られていますが、知的生産には健康が極めて重要であるということを最も早く実践した一人だと思います。

岩崎:なるほど。

牧野:コリンズもすごく健康的な人で、筋肉質なアスリートなんですよ。コロラドのボルダーに住んでいるのも、ロッククライミングをするためですからね(笑)。コリンズはまだ50代ですが、きっと60、70になってもまだまだたくさん書くと思いますよ。

ドラッカーに人生を変えられたコリンズ

ドラッカーさんとコリンズさんはどれくらい親交があったのですか?

牧野:1994年にコリンズが『ビジョナリー・カンパニー1』を出したとき、それ読んだドラッカーがコリンズに直接電話したそうです。「もしもし、ピーター・ドラッカーだ」と名乗って。この話はコリンズがよくするんですよ(笑)。

岩崎:昨年、ドラッカーハウスのオープニングイベントでも話していました(笑)。

『<a href="http://www.amazon.co.jp//dp/4822249239" target="_blank">ビジョナリー・カンパニー4 自分の意志で偉大になる</a>』ジム・コリンズ、モートン・ハンセン著
ビジョナリー・カンパニー4 自分の意志で偉大になる』ジム・コリンズ、モートン・ハンセン著

牧野:その後、コリンズは呼ばれてドラッカーのところに行ったそうです。そこで「君は永続するマネジメント思想をつくりたいのか? それとも、永続するコンサルティング会社をつくりたいのか?」と問いかけられた。30代半ばで自分の会社を立ち上げたばかりだったコリンズは、ショックを受けたそうです。それ以降、コリンズはドラッカーに対する恩義を忘れなかったと言っています。ドラッカーに恩返しするためには、自分の持っている知識を社会に還元していくことだ、とコリンズは話していました。

 『ビジョナリー・カンパニー4』の解説にも書きましたが、コリンズは「ドラッカーは社会を生産的にすることだけを目的にペンを執ったのでしょうか? そうではありません。社会を生産的にするとともに人間的にするために書き続けてきたのです」と語っています。その「人間主義」の部分は、コリンズはドラッカーから受け継いだのかもしれませんね。

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