英国の世襲王制は時代遅れに見えるが、エリザベス女王の在位中、英国の立憲君主制は成功を収めてきた。王室の伝統を背景に政治と国を分離し、政治的分断が国の分断に直結しないようにする役目を果たした。それには故女王個人の能力と努力があった。新国王はその役割を引き継ぎ、発展させなければならない。

エリザベス女王(当時、右)とチャールズ皇太子(同)(写真=代表撮影/ロイター/アフロ)
エリザベス女王(当時、右)とチャールズ皇太子(同)(写真=代表撮影/ロイター/アフロ)

 英国の女王エリザベス2世が逝去し、9月19日には、ロンドンが一時、世界の中心になる。ジョー・バイデン米大統領をはじめ世界中の何十カ国ものトップがウェストミンスター寺院での葬儀に参列する。さらには10億人を超える一般の人々が、自宅でその様子を目にすることだろう。

 それも同女王の在位の長さ故だ。帝国時代がたそがれる中で始まった在位は70年に及び、その間、女王は数々の国を訪れ、国賓を迎えた。

 この葬儀はエリザベス女王の成功の大きさを示すものでもある。チャールズ新国王は、英国内の反目、西側で興隆するポピュリズム(大衆迎合主義)、中国やロシアを中心とする民主主義体制への挑戦と、難問が山積する中で即位した。だからこそ今、亡き女王がなし遂げたことを検証する意味がある。

 英国の君主制は、表面的には現代の精神に反するように見える。もはや君主への服従はなく、王位は古風な敬称と礼服を着た侍従の無言の所作で成り立っている。能力主義のこの時代、君主制は、正当化できない生まれつきの特権に基づく制度だ。

 ポピュリズムは特権階級を否定するが、これ以上ないほど明らかな特権階級が生き残っている。アイデンティティー政治はそれぞれの立場を物語ろうとするが、エリザベス女王は自分の気持ちを時代遅れの帽子の下に押し込めた。本来なら、王位への支持はエリザベス女王の在位中に崩壊してしかるべきだった。本誌(英エコノミスト)も折に触れ、そうなるのではと予想した。だが、英国の君主制は成功を収めてきた。

政治と国を分ける

 その理由の一つは、君主制がエリザベス女王個人の長所を発揮させる基盤だったことだ。女王の第1の長所は、公務に対する無私の姿勢だった。女王は、分断が進む国を一つにまとめ、国全体の目的意識を育むために、君主制がどのように役に立てるか、答えを見いだした。宮殿での首相との会見を毎週欠かさず、一般国民への尊重を地道な行動で示そうとした。英国各地を訪問し、テープカットを行い、人々の話に耳を傾け、手を振り、「遠くからいらっしゃったの?」と声を掛けた。

 海外でも確かな手腕を発揮した。1961年には、独立間もない旧英領のガーナを訪れ、初代大統領クワメ・エンクルマ氏とダンスを踊った。独立運動の政治犯として投獄されていた人物だ。この訪問は、主権が自らにあることをガーナ国民に伝え、英国民に対しても、時代が変わったことを示すものだった。

 2011年にはアイルランドを訪問した。多くの血が流された同国の独立から90年。英国君主として初めて、独立後のアイルランドを訪れた。32年前には女王の夫の叔父がアイルランド共和軍(IRA)に暗殺されているのだが、この訪問により女王は、類例のない調和の象徴となった。

 エリザベス女王は大英帝国の過ちを償ったわけではない。それは絶対に償い得ないものだ。それでも女王の外交は、未来に向けた一歩だった。

 チャールズ新国王に、故女王に匹敵する働きができるかどうかは分からない。73歳になる新国王は、これまでずっと人の陰に隠れて生きてきた。最初の妻だったまばゆいばかりのダイアナ妃。そしてなすべきことをなしてきた母親がいた。