ウクライナには、ロシア語を母語とするウクライナ人がかなりの割合でいる。しかし、ロシアによる侵攻を受け、多くのロシア語話者がウクライナ語に切り替える努力を始めた。それを象徴するのは、ロシア語話者だったゼレンスキー大統領の流ちょうなウクライナ語だ。

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はウクライナ侵攻に先立ち、「ロシアは、オデーサのような都市で暮らすロシア語話者を守る必要がある」と発言した。略奪の意図を正当化しようとしたものだ。

 この身勝手な論法が今、オデーサで嘲笑的なジョークの的になっている。最近流行のジョークはこうだ。

 「オデーサで長く暮らす友人同士が出会った。すると一人が突然、ウクライナ語で話し始めた。『どうしたんだい?』と相手が尋ねた。『ウクライナの民族主義者が怖いのかい?』。すると、その人はこう答えた。『そうじゃない。ロシア語を話すのが怖いのさ。プーチンが僕を解放しなければと思うかもしれないからね』」

 ウクライナでは、何十年も前からウクライナ語とロシア語の問題が論争の種になってきた。選挙の前や変革期には、政治的優位性を巡り、双方の忠誠心や憤りがかき立てられがちだった。

 大ざっぱに言うと、国の西部では主にウクライナ語が話され、南部や東部ではロシア語が優勢になる。その間の地域では、常に両言語が曖昧に併用されてきた。両者の混合言語「スルジク」が使われる地域もある。

 しかし今、ロシアによる侵攻を受け、入り組んでいた事態が明確になりつつある。ロシア語を話す何百万人ものウクライナ人が、ロシアの名の下に行われた行為に衝撃を受け、ウクライナ語に切り替え始めているのだ。

侵攻で増えた学習者

 南部の都市オデーサでは、昔からロシア語が話されてきた。今、オデーサではウクライナ語学習熱が高まり、中央図書館は主催するウクライナ語会話クラブの会合を週2回に増やしたという。

 最近の会合をのぞいてみた。主な参加者は、アイラインを引き、パーマをかけた50代以上の女性たちだ。唯一の男性参加者、オレクサンドルさんは「地元のご婦人たちは、どんな会でもおしゃべりができそうなら集まってくるのさ」と軽口をたたく。

 だが、クラブを運営する図書館司書のターニャ・モズホバ氏は、オデーサでは言語の移行が広く進行中だと話す。「性別や生い立ちと関係なく、ミサイルは人々の気持ちを動かすものです。プーチン大統領はオデーサをウクライナ語の街にする号砲を放ったわけです」

 プーチン大統領は、2021年7月に長文の論文を発表した。テーマはウクライナ人とロシア人の間にあるべき統一だ。今から思えば、戦争に向かう明確な兆しだった。この論文の中でプーチン大統領は、ウクライナ語を「地域的言語特性」と簡単に片付けた。

 そのプーチン大統領は、ウクライナへの支配力を主張したいあまり、いくつかの基本的事実を見過ごしていた。確かにロシア語とウクライナ語は同根で、学術的には古東スラブ語と呼ばれる言語を祖とする。しかし、両言語は遅くとも17世紀には分離していた。語彙分析から、語の対応では、スペイン語とポルトガル語の関係と同程度の関係だと分かる。

 ウクライナを訪れる人が時に誤解している点だが、両方の言語が広く使われ、寛容な二言語主義が取られているからといって、両言語に互換性があるわけではない。

 それだけでなく、同じくらい重要な点として、言語におけるウクライナのアイデンティティーが何世紀にもわたり損なわれてきたという問題がある。最初はロシア帝国が、その後ソビエト連邦が、ウクライナ語を田舎の崩れたロシア語方言として扱う政策を取ってきたためだ。