世界の報道の自由度は冷戦期の水準にまで後退している。しかも、以前より抑圧手段が「進化」し、最新技術やSNSや法的な手法が用いられる。これに対抗するには、やはり技術の活用と、自由を享受するジャーナリストらによる国際的な支援が必要だ。

新型コロナウイルスが感染し始めた当時の武漢。報道の自由があれば感染拡大を防げただろうか(写真:Top Photo/アフロ)
新型コロナウイルスが感染し始めた当時の武漢。報道の自由があれば感染拡大を防げただろうか(写真:Top Photo/アフロ)

 思考実験をしてみよう。もしロシアに報道の自由があったなら、どのくらいのロシア国民がウラジーミル・プーチン大統領のウクライナ侵攻を支持しただろうか。もう1つ。もし新型コロナウイルスが最初に出現したのが中国ではなく、報道の自由のある国だったら、新型コロナの最初の感染拡大はどうなっていただろう。その国の政府は、あの決定的な最初の数週間、事実をもみ消すことができただろうか。

 5月3日は「世界報道自由デー」だった。ニュース依存症の人々が祝うこの日を機に、なぜ報道の自由が大切なのかを思い出してみる価値はある。

 報道の自由があれば、権力者を監視し、腐敗を明るみに出し、人の不当な扱いを防止することができる。独裁者にとっては、かつてナポレオンが嘆いたように、「敵意を抱く4つの新聞は1000の銃剣よりも恐ろしい」のだ。

 情報の自由な流れは、民主主義の生命線だ。それがなければ、有権者は情報に基づいた選択ができない。政府が自らの過ちに気付いたり修正したりすることも難しくなる。また、自由なメディアは優れたアイデアや有用な情報の拡散を容易にし、それにより進歩を加速する。

「進化」する抑圧手段

 しかし、世界中で報道の自由は後退している。世界の約85%の人々が過去5年の間に報道の自由が制限された国で暮らす。現在の報道の自由度は、冷戦期の1984年と同程度でしかない。

 しかし、当時と比べると報道抑制の在り方のほうは「進化」している。

 今も何百人もの記者が投獄されており、毎年数十人が殺害される。それでも、現代の独裁者は多くの場合、少なくとも口では報道の自由という考え方を称賛する。そして、一見それとは分からない武器を選んで攻撃を仕掛けるのだ。

 国の広報予算は、国におもねるメディアに気前よく配分される。一方、批判的なメディアには税務監査が入り、名誉毀損で罰金が科される。このような嫌がらせにより、経営の厳しいメディア企業は赤字に転落することもある。中には支配政党に近い関係を持つ経営者に買収されるメディアもあるかもしれない。こうした経営者は、自社と公共事業契約を結ぶ権限を持つ役人を喜ばせることができている限り、損失を出しても気に掛けないだろう。この手法を開拓したのがプーチン大統領だった。今では世界中でまねされている。

 主張を曲げないジャーナリストを苦境に陥れるために、技術も使われる。新しいツールを使えば、ひそかな監視も容易になる。スマホ監視ソフトウエア「ペガサス」は、200人近くのジャーナリストのスマホに仕掛けられていたことが2021年の捜査から分かっている。このソフトを使えば、利用者のメールの内容や居場所、情報源まで特定することができる。

 ソーシャルメディアもジャーナリストを悩ませるために利用される。ある調査によると、女性ジャーナリストの4人に3人はオンラインで罵詈(ばり)雑言を浴びた経験があるという。これが組織的に行われ、しかも支配政党が暗黙のうちにそれを支持しているとなると、非常に恐ろしい事態になる。実際インドでは、ナレンドラ・モディ首相を批判すると、ヒンドゥー・ナショナリズムの信奉者たちから殺害やレイプの脅迫が山のように押し寄せる。時には住所をさらされ、それを見た自警団が自宅にやって来たりする。

 自由主義的な民主主義国でも、中傷やプライバシーの侵害を防止する法律が乱用されることが珍しくない。例えば、ロシアのオリガルヒ(新興財閥)は身辺を嗅ぎ回る記者をロンドンの裁判所に訴えて、破滅的な法的代償を支払わせ、果てしない手続きで煩わせようとする。多くの購読者に支持されるポーランドのガゼタ・ビボルチャ紙は近年、60件を超える訴訟の被告となっている。訴えの多くは与党の指導者らによるものだ。マルタでは、国の腐敗を暴いたジャーナリストが40件以上の訴訟を抱えたあげく、17年に暗殺された。

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