ロシアとウクライナの停戦交渉に、正式なロシア代表団に属さない1人のオリガルヒが関わっている。英サッカークラブ、チェルシーFCのオーナーとして知られるアブラモビッチ氏だ。プーチン大統領やユダヤ人勢力との関係を保ちながら西側に根を下ろそうと努力してきた特異な立場で舞台裏の仲介に奔走する同氏の働きに、停戦への期待がかかる。

ロマン・アブラモビッチ氏。トルコで行われたウクライナとロシアの停戦協議に出席した(写真:Abaca/アフロ)
ロマン・アブラモビッチ氏。トルコで行われたウクライナとロシアの停戦協議に出席した(写真:Abaca/アフロ)

 ロシア軍の戦車が続々と国境を越え、ウクライナへの侵攻を開始した2月24日朝、ウラジーミル・プーチン大統領は主立ったオリガルヒ(新興財閥)をクレムリンに呼び集めた。

 オリガルヒの1人、ロマン・アブラモビッチ氏はそのとき、南フランスに滞在中だった。アンティーブの海沿いに、敷地面積約8ヘクタールという広大な邸宅「シャトー・ド・ラ・クロエ」を所有しているのだ。同氏はプライベートジェットでモスクワに急行したが、引見の場(一部は放送されていた)には間に合わなかった。

 アブラモビッチ氏はプーチン大統領と個人的に面談する段取りをつけた。この話し合いを知る3人の人物によると、同氏は遅刻について謝罪しながらも、戦争を止めるべきだと強く進言したという。

 プーチン大統領はアブラモビッチ氏の話を最後まで聞いたと、この関係者らは話す。そしてついに同大統領は、アブラモビッチ氏が和平交渉の仲介役として働くことを直々に認めた。

 大統領に対するこの異例の干渉には危険が伴った。西側に共感を示すロシアのエリートを、プーチン大統領は「下劣な裏切り者」と呼んできたのだ。このときから、アブラモビッチ氏の5週間に及ぶ激動の日々が始まった。同氏は欧州を縦横に駆け巡り、侵攻の結果科せられた制裁から自身の財産を守る努力を続ける一方で、和平も押し進めようとしてきた。

プーチン大統領と個人的につながる希有な立場

 アブラモビッチ氏は西側世界での自身の生活を注意深く築き上げてきた。その生活を、ソビエト連邦崩壊後に同氏が財産をどのように築いてきたかという厄介な議論から、何とか切り離してきたのだ。しかしロシアのウクライナ侵攻で、その新たな人生は根底から覆されてしまった。

 米国と欧州連合(EU)の制裁を受け、同氏は所有する英サッカークラブ、チェルシーFCを売りに出さざるを得なくなった。また、2隻のスーパーヨット(超大型クルーザー)をはるか離れたトルコにまで急いで避難させ、少なくとも2つの投資会社の支配権を仕事仲間に移すことも余儀なくされた。国際的な資産管理会社から巨額の資金を引き出そうとしたとも報じられた。ロンドン証券取引所に上場する鉄鋼メーカーで、同氏に残された主な産業資産であるエブラズは、今年に入り株価を85%下げ、売買停止となっている。

 だがそれと同時に、アブラモビッチ氏は各国間を行き来しながら舞台裏での外交に力を注いでいた。

 事情に詳しい人々によると、同氏はこの1カ月間、モスクワ、イスラエル、トルコの間を飛び回り、交渉の仲介役を務めてきた。キーウにも少なくとも2度赴き、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談したという。また、交渉の間に毒を盛られた疑いがあり、数時間、視力を完全に失ったというが、命に別条はなかった。

次ページ プーチン時代に生き残るために