英エコノミストが中国共産党序列5位、王滬寧氏の去就に注目した。習近平氏への忠誠を求めるなど同党が進めるプロパガンダ戦略の鍵を握る人物だ。その本音はいずこにあるか。米国に留学し民主主義の長所を知る一方で、政治改革からは距離を置いてきた。

<span class="fontBold">王滬寧氏(左)は民主主義の利点を知る</span>(写真=ロイター/アフロ)
王滬寧氏(左)は民主主義の利点を知る(写真=ロイター/アフロ)

 1989年に天安門事件が起きるその前年、中国の大学ではいかにして中国をより自由な国にするか、論争が渦巻いていた。一部の知識層にとっては西側諸国がお手本だった。ソ連(当時)ではミハイル・ゴルバチョフ氏がスタートの仕方を示していた。

 こうした混乱の中、めがねをかけたある政治学者が88年8月、米国に到着。アイオワ大学を皮切りに1年半に及ぶ留学の緒に就いた。彼は批判すべき様々な米国の欠点をみつけたが、多くの尊敬すべき要因にも気づいた。大学やイノベーション力、そして大統領から次の大統領へ権力が円滑に移行する仕組みなどだ。資本主義を「過小評価すべきではない」と、この32歳の中国共産党員は書いた。

 王滬寧(ワン・フーニン)氏は今や、中国共産党を率いる7人の政治局常務委員に名を連ねる。イデオロギーとプロパガンダ活動の責任者として、種々のメッセージをつくる責任を負っている。「中国は真の民主主義を実現」「米国はまがい物」「米国の力は衰退しつつある」

 米国との激烈なイデオロギー戦を戦う同党がこうした発信をするのは驚くに当たらない。王氏が果たす役割についてはなおさらだ。

 王氏の初期の論文は、彼が偏狭なナショナリストであることを示唆するものではなかった。米国のシステムに弱点があると考えたものの、それらを誇張することはなかった。中国のシステムにも問題を認めていた。

学者ゆえに生き残った

 さらに驚くのは、同氏が3人の指導者の下で、党のメッセージを作成してきたことだ。習近平(シー・ジンピン)国家主席は王氏が自身の人脈に連なる者ではないにもかかわらず信頼し、この重要な役割を任せている。ある共産党系新聞は王氏のことを党の「三代帝師」と呼んだ。

 王氏の役割は謎に包まれている。時折する演説から、ふだん何をしているのかをうかがい知ることはほとんどできない。習氏が2年前、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて外遊を取りやめるまで、王氏はしばしば随行した。ここから王氏が外交にも関与していることが想定される。

 香港の共産党系メディアはさらに詳細を報じている。王氏は20年以上にわたり、時の指導者3人が掲げるスローガンの起草に貢献した。

 江沢民氏の「三つの代表」(民間起業家の共産党への入党を巡るタブーを取り除いた)、胡錦濤氏の「科学的発展観」(環境との調和を図り均衡の取れた発展を目指す)。そして習氏の「中国の夢」だ。裕福で、強い軍を持つ、世界の大国を目指す。

 歴代指導者のブレーンであり続けるため、王氏は政治的に微妙な世渡りを強いられてきたと思われる。習氏の側近となり、江氏や胡氏と距離を置く必要に迫られたことだろう。両氏に近い人々は粛清の的となった。

 上海の復旦大学で教壇に立っていた王氏を95年、共産党本部に取り立てたのは江氏だった。政治家でなく学者だったことが、党内抗争に巻き込まれるのを王氏が避けられた要因だろう。理論家としての彼の力量と、それを柔軟に活用する意思の価値をすべての派閥が認めたのだ。