自らの性自認に苦しむ子どもたちを治療している医師は、二次性徴抑制剤を投与することで、患者が性ホルモン治療に進むべきかどうかを判断するまでの時間稼ぎができると話す。だが二次性徴抑制療法を受けている子どもたちの大半が、その後性ホルモン治療に進んでいく現実は、この薬が性ホルモン療法に至るのを阻止するものではなく、むしろ促進させていると示唆している。一方、性ホルモン治療は様々な深刻な健康問題を引き起こす。例えば、テストステロンの投与を受けているトランスジェンダーの男性は子宮萎縮や心疾患、不妊症を引き起こしやすい。

使用制限策を導入した英国

 二次性徴抑制剤の使用制限策の導入を急ぐ国もある。

 昨年、英国の裁判官は「子どもたちにこうした薬剤を投与することに十分な同意を示す余地は少ない」との判決を下した。キーラ・ベルさんの事例がきっかけとなった。

 女性であったベルさんは、10代の時に二次性徴抑制剤と性ホルモン剤の投与を受けた。そして20歳で乳房を切除した。だがその後、ベルさんは自身がトランスジェンダー男性ではなく、レズビアン女性であることに気付いた。

 米国のヘルスケア産業は、他の先進国と比べて倫理的な問題よりも個人の意思や利害を優先する傾向が強い。政策も州ごとに分かれている。このため二次性徴抑制剤の使用制限については、その必要性をめぐる議論ですら全く進んでいない。むしろ、性別転換のための治療を受けたいという要求を肯定するかどうかに焦点が当てられている。

 一部の州は「コンバージョンセラピー」を禁止する法律を成立させた。コンバージョンセラピーは同性愛など、トランスジェンダー以外の性的違和感を持つ人が、その原因を探るための治療という意味も持つ。だがこうした趣旨が正しく理解されておらず「同性愛を矯正する」治療と認識されている場合が多い。

 全米小児科学会などの専門機関はアファーマティブアクション(積極的格差是正措置)や二次性徴抑制療法を支持してきた。一部のメンバーは間違いだと考えているものの、そんな意見を公表すれば職を失うと恐れている。

 米国では二次性徴抑制療法は「命を救う」との見方がしばしば示される。暗にトランスジェンダーの子どもは自殺率が高いとの考えをほのめかすものだが、それが事実だという証拠はない。

 トランスジェンダーの子どもたちのケアに当たっている医療従事者は、二次性徴抑制剤や性ホルモン剤の効き目を称賛する。トランスジェンダーであると自認し始めている若者には、うつ病や拒食症などが出やすく、こうした症状の治療にも有効だと考えている。

 だがこれらの疾患に対して適切な診療が行われないまま、初めから二次性徴抑制剤が処方されることが少なくない。アーカンソー州リトルロックに住む精神分析医のエリザベス・スタウト氏は、二次性徴抑制剤や性ホルモン剤がしばしば万能薬として機能することがあると示唆した。「最初に性別違和感を治療することによって、他の精神疾患を治療する必要がなくなってしまうケースがしばしば見受けられる」と同氏は話す。

©2021 The Economist Newspaper Limited
Apr. 24-30, 2021 All rights reserved.

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英エコノミスト誌の記事は、日経ビジネスがライセンス契約に基づき翻訳したものです。英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。

日経ビジネス2021年5月10日号 80~81ページより目次

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