欧州に生まれた人々にとって、かつて米国は憧れの国だった。しかし、状況は変わりつつある。米国人も日々の暮らしにきゅうきゅうとしている。今の米国はかつてのアルゼンチンを思い起こさせる。移民の子孫が、祖父母の地への帰還を求めるかもしれない。

トランプ大統領は選挙集会で「Keep America Great!」を掲げるが、果たして現状は「great」なのか(写真=ロイター/アフロ)

 フランツ・カフカの最初の小説『アメリカ』(1927年)では、中欧出身の10代の少年がメイドを“誘惑した”として、米国に追い払われる(誘惑したのは、カフカの世界を象徴するかのような恐ろしげな大女のメイドだったことが後に明らかになる)。ニューヨーク港で少年は見知らぬ金持ちに温かく迎えられる。実は彼は少年の叔父で、米国の上院議員であることが判明する。少年が乗ってきた船の船長は「輝かしい未来が君を待っている」と祝福する*1

*1=原文のまま訳した

 カフカは、欧州人が抱く米国への憧れをやゆしている。彼の家族自体がその憧れに染まっていた。カフカのいとこのオットーは英語を一言も話せないまま米国に移住し、やがてその名もきらめくカフカ輸出会社を興した。

 多くの欧州人と同様に筆者も、米国を夢見ながら成長した。だが、そうした夢が緩やかな死を迎え、米国に対して欧州人が抱く心象は変わってきた。

 筆者が10歳の時(80年)、学者だった父は米スタンフォード大学でサバティカル(特別研究期間)を過ごした。そのため一家はカリフォルニア州パロアルトに移り、1年間を同地で過ごした。テック長者が続々誕生する前の時代のパロアルトは素晴らしい大学町で、学者の給料でも木が植えられた道に面した大きな木造一戸建て住宅に住むことができた。

 パロアルトに着いて間もないある晴れた朝、フラットベッドトラックが古い住宅を積んで、より良い立地を目指して移動していく光景を目にした。筆者は「これが米国だ」と感じた。人生で完全でないところがあるなら、それを修正すればいい。

ヒズボラの少年が語る夢

 反米感情を持つ人々でさえ、その多くがアメリカンドリームの恩恵にあずかることを望んでいた。作家のP.J.オロークは、84年にレバノンでヒズボラ*2の少年に銃口を突きつけられた時の経験を次のように語っている。少年はとある検問所で、この作家に向かって「アメリカ、大悪魔」などと大声で叫んだ後、夢を語った。ミシガン州ディアボーンで歯医者になる勉強をしたいんだ、と。

*2=イスラム教シーア派の武装組織。米国が敵視するイランと親密な関係にある

 筆者は93年、米国に戻り、大学で素晴らしい年を過ごした。ある夜、パーティーで、ロンドンの労働者階級のなまりで話す1人の英国人と出会った。彼はボストンで幸せな日々を送っていた。彼がどの階級に属すかボストンでは誰も気にしなかったからだ。米国は欧州人にとって自ら生まれ変わることができる場所だった。

 筆者は米国で職探しを始めた。だが、本紙(英フィナンシャル・タイムズ=FT)がポジションをオファーしてくれたため、米国で就職する計画は未遂に終わった。筆者はFTに就職することを決めた。いずれ米国で働くチャンスはあると考えたからだ。

 2004年に米国人女性と結婚した。彼女は素晴らしい資質に恵まれた人だが、米国に対して抱く憧れを筆者が彼女に投影していたのもまた確かだ。筆者たちが彼女の祖父の家を訪れると、彼はいつも「ようこそ米国へ」と出迎えてくれた。まるで彼自身が米国の恵みを筆者に授けてくれているかのようだった。

 結婚した当初、筆者と妻は最後は米国で暮らすことになると考えていた。妻は時折、グリーンカードを申請するよう筆者に強く勧めた。だが次第に、そうした話をしなくなった。米国で暮らすことの魅力は色あせていった。

 筆者は09年、ペルシャ湾であるパレスチナ人と出会った。彼は歴史の流れとは反対に、カリフォルニアに住む親戚に送金していた。この親戚は、リーマン・ショックに伴う金融危機のため破産したそうだ。

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