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英国のEU離脱支持者は、EUの主導権はドイツに握られていて、その思うがままになっていると主張する。しかし、EU設立の真の狙いは、冷戦後統一した東西ドイツの力が再び強大化するのを封じ込めることだった。英サッチャー首相など当時の指導者たちが願った「欧州の安全」は、EU内の力関係が崩れることで保たれなくなる。

1989年、英サッチャー首相(右)はモスクワを訪問。ゴルバチョフ書記長(左)に東西ドイツ統一の懸念を伝えた(写真=AP/アフロ)

 30年前、欧州の歴史の転換点となる出来事が起きた。マーガレット・サッチャー英首相(当時)がクレムリンを訪れ、後に旧ソ連の初代大統領となるミハイル・ゴルバチョフ氏と秘密裏に会談したのだ。サッチャー首相はかつて、ゴルバチョフ氏のことを「ビジネスができる人物だ」と語っていた。

 この時、ソビエト共産主義の基盤にはひびが入りつつあった。ハンガリーでは国境に張り巡らされていた有刺鉄線が引きずり下ろされ、東ドイツでは多くの人々が西側諸国へと脱出を始めていた。この会談のわずか数週間後、ベルリンの壁は崩壊した。

 サッチャー氏のクレムリン訪問に同行した記者団たちにとって、この旅行はいくつかの理由で忘れがたいものになった。首相一行は日本への弾丸ツアーを終え、東京から帰る途中でソ連に降り立った。

生涯を通じて共産主義と戦う

 過酷な旅だった。サッチャー氏が乗り込んだのは老朽化の進んだ英国空軍(RAF)機VC10。何十年か前までは最先端の航空機だったかもしれないが、当時はすでに乗り心地の悪い、大きな騒音を立てる航空機だった。後部座席に座った者は、あまりの狭さに閉所恐怖症になりそうなくらいだった。

 航続可能距離の制約から、同機は極寒のシベリアの空軍基地で給油を強いられた。同基地で2人の屈強な空軍士官が乗り込んできた。彼らがスパイだったのか、それとも監視役だったのかは分からない。だが彼らは間違いなく、同機に搭載されていた通信機器を「古臭い電子管の集まりにしか見えなかった」と報告したことだろう。実際は、トップシークレットをやり取りしていた機器だったのだが。

 サッチャー氏は生涯を通じて共産主義と戦い続けた。盟友のロナルド・レーガン米大統領(当時)とともに、ベルリンの壁を「自由を阻む恥ずべき障害」と呼んだこともある。クレムリンでの会談の1年前、ベルギーのブリュージュで行った演説で、サッチャー氏はプラハ、ワルシャワ、ブダペストを含む欧州民主主義について雄弁に語った。

 だが一方で、サッチャー氏の考えは実際の歴史とは違う方向に向き始めていた。

日経ビジネス2019年11月4日号 90~91ページより目次