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1989年の天安門事件を生き延びた当時の活動家らに、香港のデモの行方を聞いた。過激化を容認する背景に世論の変化がある。過激な行動に反対しつつも、穏便な行動は無力だったと認める。元活動家らは、北京政府とデモ隊の間に妥協の余地はないと口をそろえる。軍の投入も依然として選択肢に残る。

中国政府は1989年、天安門で展開された民主化を求める運動を軍を投じて制圧した(写真=AP/アフロ)

 中国共産党は、その意思を通すためには流血もいとわない──韓東方氏は、そのことをつらい経験と共に学んだ。

 1989年6月、韓氏は民主化運動の活動家として天安門広場にいた。軍が鎮圧に来るとの噂が飛び交う中、おびえる仲間たちに、元兵士で鉄道電気技師だった韓氏は、中国人民解放軍が同朋に銃口を向けるはずがないと断言した。

 この時の過ちが韓氏の頭から消えることはなかった。同氏は、亡命先である香港で暮らす。2014年9月、民主化運動の活動家が街中にバリケードを築き「中環を占拠せよ」運動(雨傘運動)を展開する様子を見た時、韓氏は警戒心を抱いた。

 そこで、デモ隊の元に急ぎ、若者たちとじっくり話をして、理性的に振る舞うようにと説得した。道路の封鎖はやめた方がいいと韓氏は忠告した。それは警察に、あるいはもっと悪いことに香港のどこかの兵舎で待ち構えている中国軍兵士に攻撃の理由を与えるのだから、と。

 時は流れて19年。新世代の過激な活動家たちがしていることは、結局、中国の指導者たちを挑発し、香港の街中に軍の部隊を送り込むようけしかけているのにほかならない。流血の事態を引き起こし、中国の本質をあらわにしようというわけだ。

 中国の国旗を踏みつける、地下鉄の駅を破壊する、警官を襲う、共産党に忠実な若い暴徒と小競り合いを起こす。こうした行為を通じて、強硬な活動家たちは、かつては穏健さで知られた香港の民主化運動に、凶暴で「すべてを焼き尽くす」ようなエネルギーを注ぎ込んできた。

 香港市民は今年6月、自分たちが中国本土の司法によって裁かれる可能性を開く立法に反対して、最初の大規模なデモを行った。数十万人が平和的に行進したこのデモには、今よりも穏健な年齢層の人々が参加していた。歩きながら賛美歌を歌ったり、ペットボトルやビンをリサイクルのために拾い集めたりする参加者もいた。

 しかし今、権力者を刺激して何らかの措置を取らせる危険性がかつてなく高まっている。香港の警官たちは17週間にわたり、嫌われ者となった香港の政治指導者の権威維持に努めた末に、目に見えて消耗し、苦々しい思いを募らせている。それゆえ、ちゅうちょなく警棒を振るい、催涙ガスを発射し、脅威と見なす者を片っ端から逮捕する。その一方で、共産党を支持する暴徒の振る舞いには目をつむっている。

 香港に駐屯する軍の守備隊は、本土から送られてきた数千人の兵士や武装警官で強化されている。彼らは北京政府の命令に従う者たちだ。