いくら魅力的な商品やサービスを持つ大手企業でも、決して油断はできない。今の地位にあぐらをかいて顧客から目を離すと、容赦ないしっぺ返しを食らう。トップ企業の強さの源泉は、ブランドを磨き続ける努力と工夫にある。

 ビール業界は大手4社で激しく上位を争ったが、頭一つ抜け出たのはアサヒビールだった。

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 2022年、発売から36年目にして初の全面刷新に踏み切った主力「スーパードライ」のほか、コンビニエンスストアで先行販売した際、あまりの人気で製造が追いつかず一時販売休止にまでなった「スーパードライ生ジョッキ缶」、人気女優の新垣結衣が視聴者に向かって「おつかれ生です」と語りかけるCMが印象的な「アサヒ生ビール」など、同社には勢いを感じさせる製品が目立つ。

 だがスーパードライは少し前まで、毎年のように購入者数が減少する危機的な状況にあった。大改革に着手したのは、3月16日付で社長に就任する松山一雄・専務取締役兼専務執行役員マーケティング本部長だ。経験豊富なマーケターとして知られ、米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)日本法人でブランドマネージャーを務めたこともある。

 「18年、アサヒに入社して改めて感じたのは、アサヒのビールのCMは、『とても圧が強い』ということ。企業側が一方的に商品の魅力を押し付けてくるような印象があった」。松山氏は消費者の心に寄り添うようなブランド戦略が必要だと考えた。「お客様の心を動かすことだけをやっていこう」と、やり方を変えたのだ。

 19年末、スーパードライの立て直しを狙い、印象をがらりと変えた「情緒的CM」を制作。辛口のキレの良さをアピールするのではなく、ストーリー仕立ての演出で、「仕事で困難を乗り越えた後に仲間と飲むビールが最高なのだ」と訴えかけた。このCMには大きな反響があり、松山氏は手応えを感じた。

消費者との接点は50以上

 こうしたCMのほかに、アサヒは顧客と接するタッチポイントを50以上持っている。それを、「商品」「広告」「店頭」「SNS(交流サイト)」「工場見学」など、大まかに10分類したのが上の図だ。どれも不可欠で、弱い部分は強化していく必要がある。

 「ビールのブランド認知経路では、『店頭で新商品を見た』というものが4割以上に及ぶ。その点、店頭においてはまだ課題が多く、やれることがたくさんある」と松山氏は話す。

(写真=左:阿部 卓功)
(写真=左:阿部 卓功)
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 工場見学を含む同社のミュージアムや各種イベントでは「体験」で顧客の心をつかむ。こうしたさまざまな取り組みの成果が表れたのは21年。減り続けていたスーパードライの購入者数は急増し、見事にV字回復を果たす。

 共同体験という意味では、22年、スーパードライの刷新時に飛行船を飛ばしたのもユニークな試みだった。知らない者同士、飛行船を見るために青空を見上げる、何ともいえない一体感と幸福感。思わずスマートフォンで撮影し、SNSに投稿する人も少なくなかった。「新型コロナウイルス禍の中、飛行船とクルーを手配するのに相当苦労したがやってよかった。アナログとデジタルが融合する最高の瞬間に立ち会えた」と松山氏は笑顔を見せる。

 松山氏はファンの心に寄り添うために重要なのは、「ブランドの世界観に一貫性を持ち、粘り強く、360度のタッチポイントそれぞれでコミュニケーションを取り続けることに尽きる」と言う。実直で地道な活動こそがファンの心をつかむのである。

 アサヒが苦境を乗り越えたのに対し、音楽配信で見せた米アップルの強さはまさに「横綱相撲」だった。