トップしか言えないことがある

振り返ってみて、日鉄の営業はどういう状況だったのでしょうか。

 営業はどうしたら値段が上がるか分からなかったんです。最後にちゃんとした値上げができたのは、三村(明夫元社長、会長)が自動車鋼板営業部長で私がその下で係長をやっていたころの1990年ぐらいです。

 その後、円高でトヨタ自動車さんなど自動車メーカーの輸出が苦しくなり、それに応じて少しずつ価格を下げていった。

 値下げが決定的になったのは99年のゴーン・ショックが要因です。その後、マージンが取れないまま安い状態がずっと続いた。余剰能力も抱えていたので安値でも売らざるを得ない状況だったのです。

 そこで能力削減とともに、私は社長になって経営会議でシェアの報告をやめさせました。数量を追うなと。私も営業出身なので本当は色々と耳に入っていましたが、「シェアはどうなった」と聞いたことは1回もありません。

 営業はどうしてもお客さんの応援団長になっちゃうんですよね。「値上げしたいんです」とお願いしても、「うちもこんなに苦しいんだから」と言われたら帰り道に「部長をどう納得させて値下げさせてやるか」と考える。だから、「シェアは追うな」というのはトップしか言えないことなんですよ。

経営会議でのシェアの報告はやめさせた。顧客には鉄の苦しさを分かってほしかった。(写真=加藤 康)
経営会議でのシェアの報告はやめさせた。顧客には鉄の苦しさを分かってほしかった。(写真=加藤 康)

シェアを奪われることは怖くなかったのですか。

 これまで、例えば3000円の値下げ要請があったとして、それを1500円で食い止めていましたが、結局は値下げをのんでいた。これは余剰能力があるからなんです。余剰能力がなくなれば、営業はお客さんを説得して適正な価格で売らないといけない。

 それで、私が適正価格でなければ(トヨタなど自動車メーカーに)安定供給できません、と言ったら世の中みんなびっくりしたわけです。経営会議でも営業に対しても「すべて責任は俺が持つから」と言いました。

 自動車は1つの部品でも欠けたら造れません。なので、価格交渉で自動車メーカーから「日鉄のシェアを下げていいですね」と言われても、「必要量を全部確保できないことになりますよ」と私たちは言った。言わざるを得なかったんですよ。

 それで(トヨタ社長の)豊田章男さんもお怒りになったと思うわけですが、そこで初めて鉄の苦しさもお分かりになったのではないかと思うんですよね。

 (製鉄所の合理化で)固定費をこれ以上下げられない、従業員の賃金も戻さないといけない、となった時には(売上高から変動費を引いた)限界利益を増やすしかありません。限界利益を増やすには単価を上げるしかなかった。

 限界利益を増やすため、高いマージンが取れる製品の生産を増やそうと思えば、2~3年はかかります。生産構造改革でも品質を保てるかというリスクがある。だから、短期的にリスクフリーで、しかもコストをかけず効果を出せるのは、やはり価格改定なんです。

橋本社長はどれだけ従業員に報いることができるかが自分のKPIだと語る
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