構造的な問題から目をそらし続けた外食産業に新風が吹き込んでいる。外食店の根源的な魅力を高める企業や、変化への対応力を磨く企業。「強い外食」を生み出そうとする企業や人の挑戦を追った。

 法則 1 
 レストランを目的地に 
地域優先、人の流れは自らつくる

バルニバービが兵庫県・淡路島で運営する店舗群
バルニバービが兵庫県・淡路島で運営する店舗群
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「ここに店建てて誰が来んの?」

 外食店を手掛けるバルニバービが兵庫県・淡路島の西海岸で運営する1軒のレストラン。店長の井上隆文氏は、2019年4月の開業に向けて建設工事中だった現地を初めて訪れたとき、こんな不安を抱いた。美しい海の景色に感動こそしたものの、周囲を見渡しても、広い野原に古くからの民家が点在する程度で、近くの道はめったに人が通らない。

 不安は見事に覆される。開業直後のゴールデンウイークには関西や四国、中国地方から日帰り客が押し寄せた。翌年の夏に開業したホテルもすぐさま盛況になった。21年には遊歩道を整備し、コテージやラーメン店、カフェ、回転ずし店、酒場を相次いで開業。地元の神姫バスが神戸市中心部にある三ノ宮駅近くからの直通バスの運行を始めた。野原が広がっていた約4ヘクタールの土地は見違えるように変わった。

 21年夏には、バルニバービの中で淡路島の店舗が売り上げトップクラスになった。22年6月までの1年間の施設来訪者は25万人強。前年比約2倍に伸びた。

 開業の2年前からこの姿を信じていたのが、バルニバービの創業者で会長の佐藤裕久氏だ。17年夏の昼間、佐藤氏は淡路島の野原に置いた椅子に座り、美しい海岸線を眺めながら考えていた。「自分ならここに来たいだろうか」。椅子に座って5時間。夕方になって海原が赤く輝き出したとき、出店を決断した。

 バルニバービは、普通の外食店が敬遠しそうな場所に出店する「バッドロケーション戦略」を掲げる。創業間もない1990年代、資金が十分でない頃に出した1号店は、大阪市の南船場だった。材木倉庫が集まる閑散とした街だったが、2軒のカフェで年商6億円をたたき出し、大阪の話題をさらった。

 2000年代、東京1号店は東京タワーのふもとだった。同業者からは「田舎者の観光地に出店しても人は来ない」と言われたが、このときも椅子に座ってタワーを見上げながら出店を決めた。店舗が90を超えた今も、売上高の3割はバッドロケーションの店舗が占める。

バルニバービの佐藤裕久会長CEO(最高経営責任者)兼CCO(最高クリエーティブ責任者)。19 91年にバルニバービ設立。食と宿を切り口に地方の再生に取り組んでいる(写真=的野 弘路)
バルニバービの佐藤裕久会長CEO(最高経営責任者)兼CCO(最高クリエーティブ責任者)。19 91年にバルニバービ設立。食と宿を切り口に地方の再生に取り組んでいる(写真=的野 弘路)

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