これからの人生100年時代において、50歳はまだ折り返し地点にすぎない。黄昏(たそがれ)の始まりとみるか、新たな夢を追う出発点とみるかは本人次第。50歳前後で新たなキャリアを選んだ「ライフシフター」たちの実例を見てみよう。

CASE1
待望の海外移住へ 和の家庭料理広める
「いつか家族で海外に移住したい」。そんな夢をかなえつつあるのが、外国人向け料理教室運営、わしょクック(相模原市)社長の富永紀子さん(53)だ。会社員を続けながら休日を利用した「週末起業」で事業を始め、約3年にわたる兼業状態の間にライフシフトを進めてきた。
わしょクックでは国内在住の外国人に、家庭料理を中心に和食の作り方を教えている。外国人に和食を教える「認定講師」の育成も手掛ける。
富永さんは、カネボウホームプロダクツ(現クラシエホームプロダクツ)でキャリアをスタート。その後も日本ロレアルやスイスのガルデルマなど化粧品や医薬品の会社をマーケターやブランドマネジャーとして渡り歩いた。その傍ら、海外への憧れも捨てきれずにいた。中高生の頃にホームステイが流行し、周りの友人らは海外生活を経験したのに、自分は行かせてもらえず一種のトラウマになっていた。
夢が決意へと変わったのは、日本ロレアル時代に訪れたニュージーランドでのこと。ある現地人宅で出された家庭料理がきっかけだ。家庭料理を囲むことで会話が弾み、笑みがあふれる。温かな家庭の雰囲気が胸に深く刻まれた。「家庭料理なら日本は世界でもピカイチ。それを世界に広める仕事がしたい」。思い出の地となったニュージーランドで、10年後に事業化する意思を固めた。
「10年も待たなくても、日本で始めれば?」。日本の友人らにはこう勧められたが、出産や母の死が重なり、すぐに始められなかった。そんな折、徳島から上京した義母が作る手料理に背中を押された。「めちゃくちゃおいしかった」。富永さんがレシピを外国人の友人らに紹介すると、皆が絶賛。「これで始めればいいんだ」と決心し、2014年、週末起業した。
当時は本業にも楽しさを感じていたが、いつかは仕事を辞めないとニュージーランドへ行けない。「その踏ん切りがずっとつかなかった」。いつ辞めるかを考えあぐねていたある時期、会社でミスが続いたり、小学生だった子どもがトラブルを招いたり、といった出来事が立て続けに起きた。「ここが潮時なのかな」。退職を家族も後押ししてくれた。
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