日立製作所はこの10年で最も変貌を遂げた日本企業の一社だろう。総合電機から、ITソリューションを軸にした社会インフラ企業になりつつある。歴代3トップが構造改革のバトンをつなぎ、成功させることができた理由を探る。

休まず構造改革を続けた
休まず構造改革を続けた
●日立が取り組んだ主なグループ再編や組織変更と連結業績(写真=左2点:共同通信 右:北山 宏一) 注:時価総額と業績はQUICK・ファクトセット調べ
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 日立の構造改革は川村隆氏から始まり中西宏明氏、東原敏昭氏(現会長)へと3代続いた。巨大組織で10年以上も改革の流れが途絶えなかった理由の一つは、構造改革の方向性がぶれなかったことにある。

 日立は2009年3月期、製造業で過去最大の最終赤字となる7873億円となった。コングロマリットの弊害で自動車機器、薄型テレビ、半導体子会社など様々な事業の不振が重なった。日立マクセル会長だった川村隆氏が日立本体の会長兼社長として呼び戻され、再建を託された。中核の社会イノベーション事業と関連性が薄い事業を減らすという、選択と集中の「基準」を明確にした。

選択と集中の基準、明確に

 「二度とこうした危機を起こさない」。川村氏は公募増資で自己資本不足を解消した。それと並行して再建計画「100日プラン」を策定し、業績底上げのため事業の選択と集中に動いた。川村氏が繰り返し語っていたのが「近づける事業、遠ざける事業を明確にする」との表現だった。残す事業と撤退もしくは売却するものを線引きし、方向性を一度決めたら時間をかけても完遂した。

 これは川村氏の後を継いで10年に社長に、14年に会長兼CEO(最高経営責任者)に就いた中西宏明氏にも受け継がれた。判断基準は明快だった。「今のままでグローバルな競争市場で戦って勝てるのか」

 中西氏が決めたHDD(ハードディスクドライブ)事業の売却は象徴的だった。中西氏自身が子会社CEOとして再建した事業にもかかわらず「競合の米ウエスタンデジタルと一緒になったほうがより競争力が増す」(中西氏)との判断から売却に踏み切った。もうかっている事業を売却するというのも異例だった。11年3月期には最終損益は2388億円の黒字となり、V字回復を達成した。

 「北極星をはっきりさせていたから迷わず突っ走れた」。14年に社長に就いた東原敏昭氏は、2人から受け取った宿題が自らを導いたと明かす。川村氏からは「日立をもうかる会社に」、中西氏からは「社会イノベーションをグローバル展開してほしい」と、異なるテーマを授かった。

 東原氏は16年にCEOに就いてから猛然としがらみを断ち切って采配を振るった。これを可能としたのは、執行のトップとして「CEOが絶対的権限を持つ」(東原氏)意思決定の形にしたためだ。これが改革成功の2つ目のカギだ。

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