この記事は日経ビジネス電子版に『日清食品・安藤家の系譜 しつこく挑む「七転び八起き」の教え』(5月24日)として配信した記事を再編集して雑誌『日経ビジネス』5月30日号に掲載するものです。
即席麺を生み出した創業者から3代にわたり日清食品を率いる安藤家。なぜ安藤家の経営者は社会を、そして会社を変えようと挑戦を続けるのか。勝つまであきらめない姿勢を示し続ける家族の姿がそこにあった。

日清食品ホールディングス(HD)の2022年3月期の決算は記録ずくめだった。売上収益は前期比12.6%増の5697億円で過去最高。発売50周年を迎えた「カップヌードル」ブランドの売り上げは5期連続で過去最高、45周年の「どん兵衛」は7期連続で過去最高――。
原材料費の高騰などで利益水準は下がったものの、営業利益は466億円、当期利益は354億円と稼ぐ力は健在。即席麺のシェアは国内では40%超の圧倒的なトップで、世界でも7%強と台湾系の中国食品大手、康師傅に次ぐ2位だ。23年3月期は売上収益5950億円を見込み、初の6000億円達成も視野に入ってきた。
右肩上がりで売り上げを伸ばし、順調そのものに見える日清食品HDの経営。その歴史は、3代にわたりトップを務める安藤家の「破壊」の歴史でもある。
食の常識を破壊した百福氏
1958年、48歳のときにインスタントラーメンを発明し、後に「人生に遅すぎることはない」という言葉を残した創業者の故・安藤百福氏(1910~2007年)。「七転び八起き」を地でいく人生だった。日清食品の創業に至るまで幾つもの会社を立ち上げ、成功と失敗を繰り返した。戦前・戦中には編み物の商社や航空機エンジンの部品製造会社を輿し、戦後は幻灯機や簡易住宅の製造、そして製塩業まで手を広げた。
請われて理事長に就任した信用組合が経営破綻に追い込まれてほぼ無一文になり、そこから執念を燃やして「チキンラーメン」を生み出したのは百福氏を象徴するエピソードだ。半年間も保存ができ、お湯を注げば数分で食べられる。しかもおいしい。それまでの食に対する常識を覆す商品だった。
商品の容器そのものを食器の代わりにすることで世界の食習慣に対応させた「カップヌードル」が誕生したのは1971年。今も日清食品の最重要ブランドであり続ける。百福氏が世界の食の常識を破壊したことに異論を唱える人はいないだろう。
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