世の中には消費者を「その気にさせる」マーケティングの工夫があふれる。多くはマーケターの経験則の結晶だが、煎ずれば行動経済学やナッジ理論に行き着く。企業が活用するケースを基に、今日から使える技術の基礎を学ぼう。

得をするより損が嫌

 消費者の心理や本能に働きかけて売る手法は、行動経済学のナッジ理論として分析されてきた。ただ、使い勝手のよい法則から、ニッチで活用しづらい法則までその幅は広い。日経ビジネスは博報堂コンサルティングの楠本和矢執行役員の考え方を参考に、4つの大枠に分類した。まずはその特徴を理解していこう。

(イラスト=高田 真弓)
(イラスト=高田 真弓)

 多くの企業が活用するのは損失回避バイアスという理論。これは、損したくないという気持ちは、得したいという気持ちよりも強く行動に表れやすい心理を活用し、行動変容を起こすという概念だ。

 この理論を基に投入された保険商品が既に存在し、販売も好調だという。住友生命保険が2018年に発売した保険商品の「バイタリティ」がそれで、販売件数は22年3月末時点で100万件を超える。特徴は、運動習慣を継続するための行動変容を実現すべく、損失回避バイアスなどの知見を応用している点にある。

 その一つが、保険料割引率の変動だ。バイタリティの会員はまず、基本料金から15%割り引かれたステータスでスタートする。継続的な運動など課題をこなして獲得できるポイントによってステータスが昇格。運動を怠り「ブルー」のままだと、1年後に割引率が縮小してしまう。損したくなければ運動せざるを得ず、結果的に健康状態の維持につながるというわけだ。「ゴールド」などに昇格すれば割引率が引き上げられるが、重要なのは割引率が縮小する可能性をつくったことにある。

 このほか、ポイント獲得のための運動目標設定期間として1週間や1カ月といった比較的短い期間も用意。遠い将来のメリットは割り引かれ、近い将来のメリットは感じやすいというプロスペクト理論に基づく仕組み(双曲割引効果)も組み込む。

東京メトロは使い放題を深化

 損失回避バイアスを活用した新しい「使い放題」サービスも始まっている。東京都心に路線網を巡らせる東京地下鉄(東京メトロ)。新型コロナウイルス感染症の影響を受ける前の19年3月期は年間27億人の利用があったが、22年3月期は19億人となり、約3割も減少してしまった。テレワークの浸透で平日の通勤・通学需要はコロナ前には戻らない。そこで力を入れ始めたのが、土曜・日曜や祝日などの「土休日」の利用促進だ。

 カギになる取り組みの一つが、この5月に試験的に実施している新サービス「休日メトロ放題」。税込み月2000円を支払うと、登録したICカード「PASMO」で土休日が乗り放題となる。運賃は一旦差し引かれるが、7月に全額が東京メトロのポイントで還元される仕組み。約6000人が事前登録したという。