この記事は日経ビジネス電子版に『エクセルも使いこなす「91歳課長」 年金だけに頼らず生涯輝く』(2月3日)として配信した記事などを再編集して雑誌『日経ビジネス』2月7日号に掲載するものです。

低年金時代、生き生きと長く働き続けることが自己防衛と人生の充実につながる。自分らしくありたいという強い思いと、会社側の一歩踏み込んだ後押しが土台となる。シニアの働き方の選択幅を広げる工夫と、若手やミドル層への配慮も欠かせない。

 「仕事は生活のリズムの一つ。私に定年はありません」

 こう語るのは、ねじを扱う専門商社サンコーインダストリー(大阪市西区、サンコーID)の総務部で社員として働く玉置泰子さんだ。玉置さんは91歳。「世界最高年齢の総務部員」としてギネスブックに世界記録として認定された。

<span class="fontBold">玉置泰子さん(91)</span><br>サンコーホールディングス(HD)<br>1956年に入社し、55歳で定年を迎える。シニア再雇用制度を利用し、サンコーHDに入社。子会社のサンコーインダストリーに出向している。働きながら年金を受給する在職老齢年金に該当(前列中央)。
玉置泰子さん(91)
サンコーホールディングス(HD)
1956年に入社し、55歳で定年を迎える。シニア再雇用制度を利用し、サンコーHDに入社。子会社のサンコーインダストリーに出向している。働きながら年金を受給する在職老齢年金に該当(前列中央)。

 玉置さんは1956年に入社。約430人が働く同社の「総務部長付課長」として、主に経理や庶務を担当する。自身の仕事机に置かれた2台のパソコンモニターを眺めながら、表計算ソフト「エクセル」をすいすいと使いこなし、給与計算や財務資料の作成などをする。入社から65年間、週5日午前9時から午後5時半のフルタイムで働き続けている。

 70歳を超えている玉置さんは厚生年金の被保険者資格を失っており、厚生年金保険料を払っていない。年金を受け取る側だが、働いているため、在職老齢年金に該当し、支給される年金は一部カットされている。だが、「働くことが楽しいから」と気にする様子がない。

 15歳のときに終戦を迎えた。保険会社、紡績工場に勤務した後、25歳のときにサンコーIDへ。当時の社員は16人。当初はそろばんで財務計算をしていたが、やがて電卓、パソコンに変わった。パソコンの使い方を学んだのは70歳の手前だ。「新しいことへの挑戦はワクワクし」全く苦にならなかった。会社の発展とともに、自身も成長できたという充実感と会社への感謝がある。

 毎朝5時半に起床してからヨガに30分ほど費やし、お経を3回唱える。妹と暮らす大阪府豊中市の自宅からバス、地下鉄、徒歩で通勤。勤務後、社員が皆、社内にいなくなるまで残って戸締まりをするのが日課だ。「仕事は生活のリズム」という言葉通り、規律ある暮らしの中の軸が会社だ。会社のクラブ活動や催しにも積極的に顔を出す。

定年なしの親会社で再雇用

 そんな“スーパーおばあちゃん”を会社はどう支えているのか。

 玉置さんはサンコーIDの社員ではなく親会社サンコーホールディングス(HD)の社員だ。サンコーIDでは60歳で定年を迎えると、サンコーHDに転籍する仕組みで、玉置さんもサンコーIDへ出向している。社員が24人いるサンコーHDでは賃金が約2割下がるが定年はない。自分が満足するまで事実上働ける。