この記事は日経ビジネス電子版に『「中興の祖」ランキング』(2021年12月29日、22年1月17~21日)として配信した記事を再編集して雑誌『日経ビジネス』1月24日号に掲載するものです
記者の記憶に残る名経営者
まだまだいる中興の祖
今回の中興の祖ランキングには名を連ねなかったものの、記憶に残る名経営者はまだまだいる。強力なリーダーシップで会社を大胆に変革し、急成長や窮地からの復活をなし遂げた人々だ。日経ビジネス記者が座談会形式で彼らの功績とエピソードを振り返る。

鈴木修氏
スズキ
記者A:中興の祖といえば、スズキの鈴木修相談役が真っ先に思い浮かぶね。1978年から40年以上にわたって経営トップを務め、浜松の弱小メーカーを世界的な小型車メーカーへと育てた。80年代初め、誰よりも早くインドに飛び込んだ。今も現地では市場シェア約5割を持つトップメーカーとして君臨しているよ。
記者D: 彼は、ベースは徹底した現場主義の人だ。15年ほど前、インドで修会長(当時)に密着取材したことがある。普通の経営者は取引先の部品メーカーを訪れても単なる表敬訪問ということが多い。だが彼は全然違っていた。
首に下げたタオルで汗を拭いながら、生産ラインをくまなく見て回るんだ。その後ろを20人以上の技術者がメモ帳を抱えて追いかける。改善指示を聞き逃すまいと、会長が立ち止まるたびに取り囲んでいた。
記者E:世の中の変化に対する卓越した嗅覚と、「カイゼン行脚」をいとわない合理化への執念が修氏の真骨頂だったな。自らを「中小企業のオヤジ」、未来を読む力を「勘ピューター」と呼ぶような、おおらかで気さくな人柄への親しみも重なって、多くの「修ファン」も生まれたね。
古森重隆氏
富士フイルムホールディングス
記者C:本業が消失するという大ピンチから、事業構造の大転換を図って会社を蘇(よみがえ)らせた富士フイルムホールディングスの古森重隆氏もまさに中興の祖じゃないかな。
ピーク時に営業利益の7割を稼いだ写真フィルムの市場がデジタルカメラの普及で縮小。そこから多角化を進め、先端素材やヘルスケアなどの新事業を育てた。2021年6月に最高顧問に退くまで、約21年間経営トップに立ち続けた。
記者B:古森氏は20代のころ、会社員が天職なのか悩み、不真面目な社員だったそうだ。経営企画部に配属され、毎日のデスクワークにフラストレーションを感じていたので、「エネルギーを発散するために四股を踏んだり、ロッカーに頭をぶつけたりしていた」と13年の本誌インタビューであっけらかんと語ってくれた。へこませたロッカーはずっと残っていたらしい。
記者E:大学時代、アメリカンフットボール部に所属していた体育会系らしいエピソードだよね。「企業経営とアメフトは同じ。戦略、チームワーク、スピード、闘魂が必要だ」と話していたのも印象的だった。ただ勝つのではなくフェアプレーで勝つのが自身の生き方だとも言っていた。
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