危機はしばしば再編を呼ぶが、2社が統合する可能性は低い。両社はコロナ禍がもたらした荒野に、自ら活路を見いださなければならない。「航空業界」の固定観念を打ち破った先に未来が見えてくるだろう。

1945年、第2次世界大戦が終結するとGHQ(連合国軍総司令部)は日本の民間航空機の運航を停止させた。サンフランシスコ平和条約締結の前年、50年に運航禁止が解除されると「日本の翼」をよみがえらせる準備が始まる。
51年、国が旗を振る形で日本航空(JAL)が設立され、その翌年、ANAホールディングス(HD)の前身・日本ヘリコプター輸送(日ペリ)が立ち上がった。日ペリは、当時は世界的にも政府主導の航空会社が多い中、純民間として設立されている。
以降、合従連衡や新規参入が相次ぎ、90年代以降にはAIRDOやスカイマークが生まれた。2010年のJAL破綻を経て、12年にLCC(格安航空会社)元年が到来。日本の空は、ひととき豊かな多様性を宿した。
ただ、その環境は長くは続かない。多くの業界が経験してきたように、繰り返し押し寄せる危機が合従連衡を進めていく。新興航空会社は軒並み経営不振に陥り、ANAHDの出資を受けた。LCC各社もANAHDかJALのグループに入った。コードシェア(共同運航)先も含めれば、日本の空は「2色」に染まったと言える。

だが、コロナ禍はその2社をも苦境に陥らせた。さらなる合従連衡は起き得るのか。
「日本に航空会社は1社でいい」。数年前、ANAHD内ではこんな議論が起きた。人口3億人強の米国では大手が3社に集約。国内線の競争環境が緩和されたことで、米国勢の国際線の競争力が増した。人口1億人強の日本も1強体制になれば、国際線市場で存在感を増すかもしれない。
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