危機はしばしば再編を呼ぶが、2社が統合する可能性は低い。両社はコロナ禍がもたらした荒野に、自ら活路を見いださなければならない。「航空業界」の固定観念を打ち破った先に未来が見えてくるだろう。

<span class="fontBold">日本航空(JAL)設立直後に入社した15人の客室乗務員。1300人超の応募者がいたという</span>(写真=近現代PL/アフロ)
日本航空(JAL)設立直後に入社した15人の客室乗務員。1300人超の応募者がいたという(写真=近現代PL/アフロ)

 1945年、第2次世界大戦が終結するとGHQ(連合国軍総司令部)は日本の民間航空機の運航を停止させた。サンフランシスコ平和条約締結の前年、50年に運航禁止が解除されると「日本の翼」をよみがえらせる準備が始まる。

 51年、国が旗を振る形で日本航空(JAL)が設立され、その翌年、ANAホールディングス(HD)の前身・日本ヘリコプター輸送(日ペリ)が立ち上がった。日ペリは、当時は世界的にも政府主導の航空会社が多い中、純民間として設立されている。

 以降、合従連衡や新規参入が相次ぎ、90年代以降にはAIRDOやスカイマークが生まれた。2010年のJAL破綻を経て、12年にLCC(格安航空会社)元年が到来。日本の空は、ひととき豊かな多様性を宿した。

 ただ、その環境は長くは続かない。多くの業界が経験してきたように、繰り返し押し寄せる危機が合従連衡を進めていく。新興航空会社は軒並み経営不振に陥り、ANAHDの出資を受けた。LCC各社もANAHDかJALのグループに入った。コードシェア(共同運航)先も含めれば、日本の空は「2色」に染まったと言える。

<span class="fontBold">稲盛和夫氏の存在がJALを再建に導いた</span>(写真=AP/アフロ)
稲盛和夫氏の存在がJALを再建に導いた(写真=AP/アフロ)

 だが、コロナ禍はその2社をも苦境に陥らせた。さらなる合従連衡は起き得るのか。

 「日本に航空会社は1社でいい」。数年前、ANAHD内ではこんな議論が起きた。人口3億人強の米国では大手が3社に集約。国内線の競争環境が緩和されたことで、米国勢の国際線の競争力が増した。人口1億人強の日本も1強体制になれば、国際線市場で存在感を増すかもしれない。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り1581文字 / 全文2333文字

日経ビジネス電子版有料会員なら

人気コラム、特集…すべての記事が読み放題

ウェビナー日経ビジネスLIVEにも参加し放題

バックナンバー11年分が読み放題

この記事はシリーズ「コロナ禍で消えた航空需要 ANA・JAL 苦闘の600日」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。