この記事は日経ビジネス電子版に『需要蒸発、見たことのない景色――ルポ:ANA・JAL 苦闘の600日』(11月2日)として配信した記事を再編集して雑誌『日経ビジネス』11月8日号に掲載するものです。

見たことのない景色だった。
磨かれた灰色の床が、高い天井の照明をむなしく映す。旅の高揚感に足を早める人が行き交う姿も、搭乗手続きにいら立ちながら並ぶ人たちの列もない。そのにぎやかな残像たちを重ねれば、目の前に広がる静けさは異様の一言だろう。電光掲示板が映す世界の都市の名の横には「欠航」の文字が並んでいる。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言下の2020年4月、成田空港の出発ロビーに立ったANAホールディングス(HD)代表取締役専務執行役員・芝田浩二は、もはや現実のものとなった危機の姿を前に、記憶を手繰り寄せた。
1990~91年の湾岸戦争。2001年の米同時多発テロ。08年のリーマン・ショックも経験した。需要蒸発に航空業界がきしむ姿は、これまで何度も目にしてきている。
だが、ここまで人のいない成田空港の姿を見たことは一度としてない。今まさに異次元の危機に襲われていることを実感し、芝田は戦慄せずにはいられなかった。
異変は静かに訪れた
日常の隙間から危機がその姿を見せ始めたのは20年1月初旬のことだ。「中国で新型肺炎が流行しているようだ」。全日本空輸(ANA)グループは感染が拡大していた武漢に直行便を運航しており、総領事館も置かれていない現地拠点から生々しい情報が次々と寄せられた。1月28日には政府の要請で帰国用のチャーター便を武漢に飛ばしている。
スイスに滞在し、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に参加していたANAHD社長の片野坂真哉は、その報告に触れて小さな不安のさざ波が立つのを感じていた。ただ、当時、多くの関係者の頭によぎったのは重症急性呼吸器症候群(SARS)の記憶。迫るリスクの大きさを予測できている者はまだない。
危機のギアが変わったのは2月26日のことだった。「全国的なスポーツ、文化イベント等については、大規模な感染リスクがある」。首相(当時)の安倍晋三は国民に大規模イベントの自粛を要請。これを機に、国際線にとどまっていたコロナ禍の影響が国内線に波及し始める。
社内は騒然となった。3月19日、片野坂はグループの全社員に向け「新型コロナウイルスの猛威から生き残るために」と題したメッセージを発信し、危機の到来を告げる。
その文面には「政府がコロナ禍の収束を宣言する時期を5月末と想定する」とある。結果的には、この見立ては楽観に過ぎた。だが、片野坂は「当時から危機感は相当抱いていた」と振り返る。
3月末には「一時帰休」の実施で労使合意。人件費を抑えるための苦肉の策だった。同時に資金調達に奔走しつつ、4月に予定していた超大型機、欧州エアバス製の「A380」の3機目の受領を延期することも決めた。維持コストなどの低減を図る狙いだった。
底がうかがい知れない危機を前に立ちすくむ従業員たちには可能性としての展望を示しつつ、その裏で、大幅なコスト削減や資金調達に動いていたのだ。楽観と悲観を同居させる、経営という営為の難しさだろう。
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