緑豊かな丘陵地に3万人都市をゼロから建設する──。そんな壮大な計画がかつて岡山県の山中で進められていたのをご存じだろうか。
岡山駅から山あいの県道を走ること50分ほど。トンネルやカーブを抜けた先で、不意に視界が開ける。目に飛び込んでくるのは、歩道と立体交差する片側2車線の道路に、よく手入れされた街路樹。東京の多摩地域に広がるニュータウンを思い起こさせる風景だ。ひときわ目を引く幾何学的な形状の建物は建築家、故黒川紀章氏の設計だという。
ここは岡山県中央部に広がる標高400~600mの吉備高原。行政区域としては吉備中央町に当たる。ハンドルを握る70代のタクシー運転手は話す。「岡山駅からモノレールが延びて大都会になるという話だったんですけどね。自然に囲まれたいいところと言えばそうなんだけど、鉄道はないしバスの便も少ない。不便なところですよ」
「自治の神様」肝煎りの計画
この地を舞台にした「吉備高原都市」構想の起源は1970年代に遡る。75年に当時の長野士郎知事が打ち出した基本構想では、東京・新宿区がすっぽり入る1912ヘクタールの敷地に3万人が暮らす街を建設する計画だった。目指したのは、自身が進めた福祉重視の県政のシンボルとなる「福祉と保健と文化の一大センター」だ。
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