省エネや公害対策で「環境先進国」と称賛された日本はどこで道を間違えたのか。経済・環境の両面を支えた日本の「強み」が「弱み」へと転化する恐れがある。脱炭素時代の勝ち筋を確立するため、日本的経営の再構築が求められている。

住友グループの礎となった別子銅山は、煙害と伐採で荒廃した(右)。住友化学では、若手社員が緑を取り戻したこの地を訪ね、公害克服の歴史を学ぶ(左)(写真=右:住友資料館(写真は明治時代))

 そこは、生命の気配すら感じ取れない荒廃しきったはげ山だった。

 別子銅山──。四国中部に位置し、かつて日本有数の産出量を誇った。元禄4(1691)年に住友家が開坑し、明治期の近代化を経て住友財閥発展の礎となった。が、その代償は重かった。坑木や薪炭を賄うために、大量の木を伐採。銅精錬で生じる亜硫酸ガスが山野、田畑を枯らした。

 100余年を経て生まれ変わったこの山で、毎春、緑陰に憩いつつ頂を目指す若者の一団が姿を見せる。住友化学が創業精神を伝承するため、入社3年目の社員を対象に実施する登山「ルーツ研修」だ。煙害を防ぐため、硫酸を利用して肥料を生産した住友肥料製造所が同社の前身。山を再生する植林事業は住友林業の礎となった。研修を通じ、多くの農家を窮地に追いやった負の歴史を直視し、「自利利他 公私一如(いちにょ)」(事業は自らと社会、双方の利益にかなうものでなければならない)という住友の事業精神を学ぶ。

 住友化学は、ESG(環境・社会・企業統治)先進企業として知られ、国連の持続可能な開発目標(SDGs)への対応もいち早く進めてきた。それでも、世界の脱炭素に向けた変化のスピードについていくのは容易ではなさそうだ。

足踏み続けた環境先進国

 「環境先進国」。日本はかつて世界からそう称賛された。1970年代に起きた2度の石油危機の教訓から「乾いた雑巾を絞るがごとく」と形容された徹底した省エネ活動を展開し、太陽光発電など「新エネルギー」の開発でも先行。緻密な分別回収に支えられた資源リサイクルも世界を驚かせた。97年の第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)で採択された京都議定書。温暖化と人類との戦いの歴史においてマイルストーンとなる場に日本が選ばれたのは、国民的努力の結果ともいえる。

 だが、そうした評価も長くは続かなかった。

 90年までの20年間で日本の製造業はエネルギー効率を4割近く改善したがその後は横ばい。国際エネルギー機関(IEA)によると国内総生産(GDP)1ドル当たりのCO2排出量は90年に0.26kgだったが、2019年でも0.2kgにとどまる。一方、再エネの大量導入を進めた欧州連合(EU)は1990年の0.31kgが2018年に0.15kgとなり日本を抜きさった。米国も1990年の0.49kgから2019年の0.24kgへと半減。福島原発事故後、火力依存が続く日本の脱炭素における競争力低迷が際立つ。

 政府が再エネを「主力電源化」するとエネルギー基本計画で示したのは18年のこと。原発再稼働に固執し、世界の再エネシフトに大幅な後れを取った。

 産業面の競争力低下も目立つ。グリーンイノベーションに関する特許件数では、日・米・欧・中・韓の件数のうち、06年は55.3%を占めていたが、14年は27.8%まで下がった。太陽電池のシェアも、世界の上位を日本企業が占めた05年には47%に達したが、中国勢などの追い上げを受け、12年には約6%に低下。風力発電機からも日本勢は撤退した。

 世界の変化に対する政策対応の遅れ、出口の見えない低成長と企業の活力低下。日本経済の閉塞が、気候変動での競争力低下に直結した。

続きを読む 2/3 日本企業の強みが弱みに

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