この記事は日経ビジネス電子版に『過激化する反・不謹慎運動 小さな駄菓子店を追いつめた「正義マン」』(3月31日)として配信した記事などを再編集して雑誌『日経ビジネス』4月12日号に掲載するものです。

企業の“不謹慎な行為”への消費者の行動は、ネットでの炎上だけにとどまるわけではない。とりわけコロナ禍では、標的にした企業や店舗への物理的攻撃を仕掛ける人も増えている。実際には炎上していないにもかかわらず炎上案件になる不可思議な状況も出現している。

<span class="fontBold">「自粛警察」による被害を受けたまぼろし堂の店主、村山保子さん。「張り紙を見たときのことを思い出すと今でも胸が押しつぶされそうになる」と語る</span>
「自粛警察」による被害を受けたまぼろし堂の店主、村山保子さん。「張り紙を見たときのことを思い出すと今でも胸が押しつぶされそうになる」と語る

 「張り紙を見たときのことは今でも夢に見る。思い出しただけで胸が押しつぶされそうになる」。千葉県八千代市で駄菓子店「まぼろし堂」を営む村山保子さんは重い口調でこう話す。

 「コドモ アツメルナ オミセ シメロ マスクノムダ」──。赤の油性ペンで、定規を使ったような直線的な字で書かれた張り紙を見つけたのは2020年4月28日だった。竹林を切り開いた一角に建てられた店の入り口は、トタン板の門扉。張り紙はそこに粘着テープで貼り付けられていた。

 開業は12年9月。75歳になる村山さんは長年、専業主婦だったが、「老後の生きがいが欲しい」と息子たちの協力を得ながら店を構えた。店内には駄菓子店らしく、小学校風の机や椅子を並べ、屋台スペースも確保。「焼きおにぎり」や「たこ焼き」といった子供たちに人気のあるメニューをそろえた。

 まぼろし堂があるのは、東葉高速線の八千代緑が丘駅から北東に3km弱の田園地区で、客商売をする上で特別有利な立地とは言えない。それでもコロナ禍前までは、放課後になると数km離れた地域からも子供たちが集まり、土日も家族連れでにぎわってきた。もうけは決して多くはないが、村山さんは強いやりがいを感じていた。

メディアの応援報道があだに

 状況が変化したのは20年に入り、コロナ禍の影響が広がり始めてからだ。3月半ばまでは、来店する子供たちにマスクを無償で配りながら時々店を開けていた。毎年花粉症に悩まされてきた村山さんはシーズン前にマスクをまとめ買いするのが慣例。世間のマスク不足を知り、少しでも子供たちの役に立ちたいとも思ったという。

 ただ、そのことが「コロナ禍で奮闘する小さな駄菓子店」として一部メディアで取り上げられ、「まぼろし堂」の知名度は、常連客以外にまで広がってしまう。「あれで、コロナ禍で店を開けるなんて不謹慎と一部の方に思われたのかもしれない」と村山さんは話す。

 実際には、まぼろし堂は、営業自粛の要請を受けた「飲食店」に該当しないにもかかわらず、3月28日以降は休業に入っていた。だが、商品の賞味期限管理や店内の清掃のため村山さん自身は1日おきに店に出ていたという。報道などを通じてまぼろし堂のことを知り“義憤”に駆られた犯人は現地を訪れ、そんな店主の姿を確認。まだ店が開いていると誤解し、犯行に及んだとみられる。

 コロナ禍で不特定多数が集まる店を営業するのは是か非か──。そんな議論をすることも、店が本当に営業中か確認されることもなく、いきなり攻撃を仕掛けられた村山さん。心の傷は1年たった今も消えないままだ。

 そのショックはネットでの中傷の比ではなく、事件後は心が落ち着かない日が続いた。夜に店を閉めて出るときに襲われるのではないか、店や家に何かされるのではないか……。怨念がかった赤い文字の警告文を思い出すと、放火される可能性すら脳裏をよぎる。自治体に相談し、警備会社の見回りを要請した。まぼろし堂は20年11月に一時は営業を再開したが、ひと月足らずで再び通常の営業を休止。現在は“テークアウト用”のお菓子の詰め合わせだけを販売し続けている。

  「不謹慎」と感じる企業行動に対する消費者の行動は、必ずしもネットでの炎上だけにとどまるとは限らない。とりわけコロナ禍では、まぼろし堂の事件同様、“標的”にした企業や店舗へ、直接的な攻撃をする動きも目立つ。

 東京都杉並区でダイニングバー「いちよん」を営む村田裕昭さんも、コロナ禍での店舗運営を巡り、何者かから暴力的警告を受けた経営者の一人だ。

 自身もバンドマンである村田さんのバーでは、コロナ禍前は高円寺周辺で活動するアーティストらが月に数回ライブイベントを開催していた。だが、3月上旬に大阪市内のライブハウスでクラスターが発生したことを機に状況は一変。3月後半のライブイベントはすべて取りやめた。

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