この記事は日経ビジネス電子版に『経営の神様・松下幸之助 その「奥の手」は謝罪だった』(12月15日)として配信した記事を再編集して雑誌『日経ビジネス』12月21日号に掲載するものです。

過去を振り返れば、企業の転換点が「謝罪」にあった事例は少なくない。経営の神様・松下幸之助氏もパナソニックの窮地を謝罪で切り抜けた。多様化するステークホルダーに、謝罪の本気度を伝える心得とは。

謝罪は何を変えてきたのか
●過去30年の主な不祥事と謝罪事例(社名、肩書は当時のママ)
<span class="fontSizeM">謝罪は何を変えてきたのか</span><br>●過去30年の主な不祥事と謝罪事例(社名、肩書は当時のママ)
(写真=1:毎日新聞社/アフロ、2・3:読売新聞/アフロ、4:毎日新聞社/アフロ、右上:読売新聞/アフロ、右下:毎日新聞社/アフロ)
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 1964年。前回の東京五輪があったこの年は、創業102年のパナソニックの歴史でも特別な意味を持つ。静岡県の熱海温泉に全国170社の販売会社、代理店の社長を招いて開催した「熱海会談」。3日に及ぶ激論の末、松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助氏の謝罪が、集まった「世間」の空気を一変させた。

 時は高度経済成長期。白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「三種の神器」と呼ばれた50年代後半を経て、カラーテレビ、クーラー、自動車の頭文字をとった「3C」が豊かさの象徴となりつつあった。

 だが、消費者の憧れが実現していくと電化製品の売れ行きは踊り場に入り、松下電器の販売網にはダブつきが生じていた。その結果、多くの販売店の経営が苦しくなっていた。その実態を知ることが、熱海会談の目的だった。

 いざ会議が始まると、議論はもめた。販売側は「松下の社員は相手の立場になって考えることを忘れている」などと批判を重ね、松下側も「売る方の経営姿勢に甘えがないのか」と迫る。幸之助氏は事前に「共存共栄」と書いた色紙を参加人数分用意していたが、対話はお互いの主張をぶつけ合う形で平行線をたどった。

 そして、最終日に飛び出したのが、幸之助氏の謝罪だった。「原因は私どもにある。松下電器の体たらくは申し訳ない不始末だ。報恩の念に燃えて、経営の一切の立て直しをしなくてはならない」。時折ハンカチで目頭を拭い、途切れ途切れに語る「経営の神様」の姿。会場が粛然とした雰囲気に包まれた、と参加者らの声も集めて作成した同社の百年史は伝えている。

続きを読む 2/6 謝罪という最終手段

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この記事はシリーズ「謝罪の流儀2020 コロナで高まる「同調圧力」への対処法」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。