自発的に事業構造を変えてきた日立と、選択肢のない事業売却で変わった東芝。構造改革が進んだ今、過去から何を学び、どんな道を歩もうとしているのか。両社のトップに今の課題と進むべき方向性を聞いた。

 日立製作所は2009年3月期に7873億円、東芝は17年3月期に9656億円と、当時の製造業として過去最大の最終赤字を計上した。現在の経営トップは、どん底に陥った過去から何を学んだのか。

日立・東原敏昭氏:いい製品をつくれば売れるという時代があったので、それまでは「そんなに変化しなくてもやがて景気は戻ってくるだろう」といった雰囲気が社内を覆っていました。

日立製作所社長兼CEO
東原敏昭
Higashihara Toshiaki
1977年日立製作所入社。2007年に執行役常務。日立パワーヨーロッパ社プレジデントや日立プラントテクノロジー社長などを経て14年に社長兼COO。16年から現職。(写真=陶山 勉)

 「官僚主義」や「大企業病」といった言葉がありますが、それがずっと続いていたのではないかと思います。IT(情報技術)バブル崩壊の時に5000億円近くの赤字を出していますが、それでもどん底だと思っていなかった。

 でも、7873億円の赤字を出して、どん底を見ました。もう一回このような赤字が出れば日立は潰れるとみんな本気で思ったんです。だいぶ利益率も上がり平時になった今も、どんどん改革するという意識を持っています。

不正会計なくても行き詰まった

東芝・車谷暢昭氏:06年に米ウエスチングハウスを買ったときから、非常に低収益でキャピタル(資本)が薄い状態が続いていました。そんな中で、半導体メモリーと原子力という「ティラノサウルス」のようなものを飼っていたのです。過小資本と低利益の構造が、不正会計の原因になったと思います。

東芝社長兼CEO
車谷暢昭
Kurumatani Nobuaki
1980年三井銀行入行。2015年三井住友フィナンシャルグループ副社長執行役員。シャープ社外取締役などを経て18年に東芝の会長兼CEOに就任。20年から現職。(写真=北山 宏一)

 ただ、より大きく捉えると、企業のトランスフォーメーションをやらないと生き残れない状態になっていました。東芝は、(不正会計がなくても)あのままやっていたら、戦後の日本メーカーの負けパターンにはまっていたと思います。

 日本の製造業は、工場に莫大な投資をして、利益を出したらそれをまた工場に投じていました。でも、その工場で生産する製品が終わりになると、投資回収の見込みが立たなくなった工場を減損処理しなければなりません。今までもうけたのは何だったのか、となります。不正会計がなくてもビジネスモデルは変えなければならなかった。

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