米国と中国が繰り広げる半導体をめぐる対立を見て、30年以上前に起こった日米間の半導体摩擦を連想する日本人は多い。世界で隆盛を誇った日本の半導体産業は、いつしか存在感を失ってしまった。米中の対立と日米半導体摩擦の共通点、そして相違点はどこにあるのか。歴史の目撃者の証言から探った。

 「日本の半導体メーカーが不当に廉価販売している」。1985年6月、米国半導体工業会(SIA)が日本製半導体をダンピング違反として米通商代表部(USTR)に提訴した。

 76年に立ち上がった「超LSI技術研究組合」でシリコンウエハーに回路パターンを転写する露光装置などの半導体製造技術を磨いた日本勢。81年には64キロビットDRAMの世界シェアで合計70%を占めるまでに至っていた。

 対日貿易赤字が拡大して米国企業の業績が悪化する中、米国が狙いを定めたのが半導体だった。日米政府は1年間の交渉の末、86年9月に「日米半導体協定」を締結した。

 この協定で定められた取り決めが「日本の半導体産業が弱体化する1つの引き金になった」。こう振り返るのは、10年後の終結交渉で日本側団長を務めた元日立製作所専務の牧本次生氏。「日本市場における外国製半導体のシェア拡大」と「公正販売価格による日本製半導体の価格固定」という2つの取り決めで、「何をやるにしてもがんじがらめだった」(牧本氏)。

日米半導体協定の終結交渉で日本側団長を務めた牧本次生氏。著書の題名である「一国の盛衰は半導体にあり」を米国はよく理解していると指摘する

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この記事はシリーズ「米中半導体ウォーズ 踏み絵迫られる日本の針路」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。