「ピンチをチャンスに変える」というが、現実には簡単ではない。だが、コロナ禍を組織や業績を改善させるチャンスにし始めている企業がある。その経営には、危機を好機に変える技術が様々な形で使われている。

 「このままいくと、年内に倒産することになる」

 日本中でコロナ禍が拡大し始めた4月。高級菓子の老舗、たねやグループ(滋賀県近江八幡市)の洋菓子部門「クラブハリエ」を率いる山本隆夫社長はウェブ会議のモニター越しに、十数人のシェフたちに向けてそう訴えた。そしてこう続けた。「でも、僕は社員を1人も解雇するつもりはない。だから、みんなが1mmでも前に進めるように、できることをすべてしよう」

<span class="fontBold"><span style="border: solid #666 2px; background-color: #666; color: #fff "> 1 </span><span style="border: solid #666 2px; background-color: #666; color: #fff "> 2 </span>たねやの洋菓子部門では若いシェフらの新しい菓子が次々にヒットした<span style="border: solid #666 2px; background-color: #666; color: #fff "> 3 </span>社員の提案から実施された菓子のドライブスルー</span>(写真=宮田 昌彦)
1 2 たねやの洋菓子部門では若いシェフらの新しい菓子が次々にヒットした 3 社員の提案から実施された菓子のドライブスルー(写真=宮田 昌彦)

 多くの企業の経営を直撃したコロナ禍。たねやも例外ではない。緊急事態宣言が発出された4月、直営店と全国の百貨店に入居する店、合わせて48店を休業。売上高は前年同月比で3割にまで激減した。しかし、社長から若手まで「全員野球」で需要回復に取り組み、6月には前年同月比9割にまで売り上げを戻し、長期化するコロナ禍の中でもしぶとく勢いを保っている。

 名だたる老舗菓子メーカーが次々と事業縮小を余儀なくされる中、たねやはなぜ復活できたのか。それは社員たちが自分の役割に誇りを持ち、動き始めたからだ。自己肯定感が強いとピンチをチャンスに変えやすいことは、PART1の2つ目の技術に当てはまる。

 3月下旬、感染者が次々と増え、ロックダウン(都市封鎖)という言葉がメディアをにぎわした頃、山本氏は148年にわたるたねやの歴史を絶やさないために、今何をすべきか必死で考えていた。

 思い浮かんだのは、社員たちの顔。たねやの売上高は約200億円、従業員数約2000人と、虎屋(東京・港)に匹敵する老舗菓子の大手だ。それだけに「会社は大丈夫」と安心している人もいた。

 社員全員が経営の担い手としての自覚を持ち、全力を尽くせば事態は打開できる。危機意識を共有することが、その出発点だと考えた。

 商品づくりや店舗運営など重要事項を話し合う十数人のシェフとのミーティングは、コロナ前まで月1回程度だったが、オンラインに切り替えつつ週1回と密度を高めた。その会議の場で、売り上げ推移を示し、会社の置かれている状況を包み隠さず伝えた。普段、業績数値などほとんど口にしない山本氏が突きつけた厳しい現実。モニター越しに空気が張り詰めるのが分かった。

一発OKのアイデアも

 危機感を共有した後、山本氏は、シェフやその他の社員と、コロナ下における自分たちの存在意義について、時間をかけて話し合った。未曽有の災厄を前に、「不要不急の商品」(山本氏)を扱う菓子店が果たすべき役割とは何なのか。行き着いたのが、「お菓子を食べることは家の中でできる幸せの一つ。それを届けることが自分たちの使命」だという、商いの原点だった。やがて社員一人ひとりが、自分に今できることを考え始めた。

 最初の復活の芽は、30歳前後の若手シェフたちの手によるものだった。彼らが試行錯誤の末に生み出した通販向けの新商品が次々にヒットを飛ばし始めたのだ。5月20日に、自社の通販サイトで売り出した約1500円の「スフレチーズケーキ」に注文が殺到。発売から数時間で用意した200個が完売した。2000円以上するケーキが発売から数分で400個完売したこともあった。

 「私に試作品を持ってくるときのシェフの顔つきがまるで変わった」と山本氏は話す。シェフが新商品を世に出すにはグランシェフ(総料理長)でもある山本氏の審査をクリアしなければならない。若手シェフは何度もダメ出しを受け商品化まで3~4年かかることもあるが、「『この新商品で、会社を救うんや』といった意気込みで、自分なりのアイデアや思いをぶつけた試作品を持ってくるようになった。『一発OK』の商品まで出てきた」と山本氏は驚く。

 5月に実施したドライブスルーでの販売も社員の主導で始めた。当日は約30台の車が列をなす人気ぶりで、期間を4日から1週間に延長した。

 山本氏自身が先頭に立ち、新しい需要開拓に奔走したことが、社員の動きを後押しした。

 6月にはSNS(交流サイト)のインスタグラムで、山本氏が家庭でできるお菓子作りやたねやの生産現場を紹介するライブ配信を開始。シェフたちもこれに加わり、配信は50回を超えた。

 主力の販路である百貨店が集客に苦戦する中、山本氏はいち早く新しい販路も開拓。6月から全国のイトーヨーカドーとセブンイレブンの一部店舗(期間限定)、生協の宅配での販売を始めた。スーパーやコンビニでの新しい販売手法を検討するチームも発足させた。危機を糧に、多様な販売網に対応できる人材を育てる。誰よりも汗をかき、先頭に立って困難と向き合う。そんな山本氏に社員は触発された。

 「彼らは(コロナ危機という)パンチを食らって、真剣に自分の使命や、お客様や仲間との絆について考えるようになったと思う。平常に戻ったとき、たねやはすごく強い会社になっているんじゃないか」。たねやは、かつてない危機を、次の成長を支える「人」を育てる好機に変えた。

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