コロナ禍で課題として浮かんだデジタル化は政府にとって20年来の戦略だ。おざなりのデジタル化が利便性の低いサービスとなり、「後進国」を生んだ。何が日本をだめにしたのか。背景には行政組織の4つの宿痾があった。

 「進んでいるようで進んでいなかった。これが日本のIT政策の実態だろう」

 安倍内閣の内閣府副大臣としてデジタル行政を進める上での規制改革を担当してきた大塚拓氏は、新型コロナウイルスの感染拡大で起こった混乱の要因に、これまでのIT政策がきちんと目的を達成できていないことがあると見ている。

 目には見えないウイルスが人から人へと感染することを防ぐためには、接触の機会を可能な限り減らすことが有効だ。そのため、デジタルを用いた情報やサービスのやり取りの重要性が一段と高まった。しかし、とりわけ公的サービスにかかる部分でデジタル化が十分でない実態が明らかになった。

 行政サービスのデジタル化、いわゆるデジタル・ガバメント(電子政府)の構想が初めて登場したのは、2001年に森喜朗首相(当時)が提示した「e-Japan戦略」だ。ここで「国が提供する実質的にすべての行政手続きをインターネット経由で可能とする」方針が示された。その後も同様の目標が「e-Japan戦略Ⅱ」「i-Japan戦略2015」などで、定期的に掲げられた。

 13年には、情報システムの管理や他の省庁との連携を担当する政府CIO(最高情報責任者)の設置を決めた。17年の「世界最先端IT国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」では、各府省庁にCIOを置くなど、より府省庁の縦割りを打破した政策にも力を入れた。だが、こうした政府の努力もむなしく、オンライン行政サービスは、利用者が利便性を実感できるものにはなっていない。

省庁間のビデオ会議入れず

 e-Japan戦略を策定した森元首相はかつて「IT革命」を「イット革命」と読んで、話題となった。それから20年。情報技術を表すITという言葉は間違えようのないほどちまたに広がった。だが、政府が打ち出している戦略の骨子は、当時から驚くほど変わらない。その事実は、この20年のデジタル戦略が、ほとんど進んでいないことを意味する。

デジタル強国への道は20年越しの戦略だ
●日本のIT戦略の歩み
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※内閣法等の一部を改正する法律(平成25年法律第22号)
出所:内閣官房情報通信技術(IT)総合戦略室「IT新戦略の概要」を基に本誌作成
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 日本をデジタル後進国にした要因とは何か。まず挙げられるのが省庁間の縦割りだ。新型コロナウイルスの感染拡大により、ビデオサービスによる会議は日常になった。霞が関でも春以降、ビデオ会議の頻度が増えたが、ここで大きな問題が持ち上がった。複数の省庁間をまたがるビデオ会議を開くと、セキュリティーに抵触するため会議に入れない人が続出したのだ。

 各省庁は、情報管理上必要な安全基準が異なるという理由で、個別にネットワークを構築しており、各省庁間のネットワークは統合されていなかった。そのため「有識者会議など偉い先生が集まる場において、省庁の事務方だけ会議に入れないといったことが頻発し、迷惑をかけた」(内閣府関係者)。各省庁では、無線LANルーターを買い込んで、会議に参加したという。 「中には中国のIT機器大手、華為技術(ファーウェイ)製のルーターもあったようだ」(政府関係者)

 緊急事態宣言が解除された直後の5月27日。遅まきながら省庁間のネットワーク整備に向けた初会合が開かれ、竹本直一IT・科学技術担当相(当時)は「コロナの経験を踏まえて一丸となりネットワークの統合化を図らなければならない」と発言した。だが、各省庁のシステム更新時期などを勘案すると、統合には4~5年かかる見通しだという。当面は、購入したルーターを通じてビデオ会議に出席する状態が続く。

 縦割り行政はデジタル化の大きな阻害要因になっている。そしてそれは今に始まったことではない。